あなたは渋沢栄一という人物について、どの程度知っていますか?
次の一万円札の図柄として採用されることが話題になっている渋沢栄一。
実は日本の経済を語るうえで、避けては通れないほどの重要人物だったのです。
今回は、そんな彼と親交が深かった徳川慶喜との関係性にも注目しつつ、かの人物たちの功績を簡単にご紹介します!
スポンサーリンク
P>
目次
渋沢栄一と徳川慶喜の関係
1840年、渋沢栄一は埼玉県の裕福な農家の子として生を受けます。
幼いころから優秀で学問に長けていた渋沢栄一は、やがて尊王攘夷思想に出会います。
思想を強くした栄一は、そのまま江戸に上り、運動を開始します。
一時はクーデターを目論むものの失敗。
亡命した先が一橋慶喜をようする一橋徳川家でした。
そこで慶喜と出会ったことをきっかけに、偉大なる官僚としての人生をスタートするのです。
一方、徳川慶喜は水戸徳川家の9代目藩主徳川斉昭の七男として生まれます。
幼い頃からたぐいまれなる聡明さを発揮していた慶喜は、一橋徳川家の家督を相続し政治に積極的に参加するようになりました。
その後15代将軍へ就任するまでの間、重要なポストをいくつか任されつつ、政治家として次々と改革を成功させていくことになります。
その傍らに、いつしか姿を見せるようになったのが、画期的な財政政策で慶喜から一目置かれるようになった渋沢栄一だったのです。
渋沢栄一は主君である徳川慶喜を敬愛していた、という話はさまざまな記録に残っています。
当時の慶喜は、江戸幕府を売った張本人として、国民から大バッシングを受けていました。
その時代において、武士として戦わずに負けることはあってはならないこと、だったからです。
しかし実際の事情を知る栄一にとって、慶喜の決断を侮辱されることは耐えがたいものだったに違いありません。
徳川慶喜の悪評を払拭すべく努力し続けた栄一が残したのが「徳川慶喜公伝」です。
それだけでも慶喜に対する栄一の想いの強さがうかがえます。
渋沢栄一と徳川慶喜の凄さ
渋沢栄一は一橋徳川家の下で、多くの財政改革案を打ち出していきます。
画期的な政策のなかには、現在でも形を変えながら残っているものもあります。
「日本銀行」や「造幣局」は、渋沢栄一が取り入れた仕組みです。
鎖国から抜け出したあたりの日本において、これほどの財政手腕を持った人物はいなかったのではないでしょうか。
また、実業家や教育者としても数々の功績を残しています。
次いで、徳川慶喜といえば、「大政奉還」と「江戸城無血開城」です。
慶喜は幕末に活躍した人物で、討幕派の最大の敵でもありました。
明治政府の新設にともなって、旧政府はないがしろに語られがちです。
しかし、実際に慶喜が残した功績は新時代を切り拓くプロローグとなりました。
そのはたらきによって、旧体制は内側から瓦解し、新体制を構築しやすくなりました。
また、大きな内戦を回避できたことで、外国に弱みを見せることなく、日本は明治維新へと進みだすことができたのです。
渋沢栄一の功績を簡単に紹介
渋沢栄一は、「日本資本主義の父」と呼ばれています。
どういった功績を残したために、現代まで語り継がれる偉人となったのでしょうか。
最も大きな功績はやはり「第一国立銀行」の設立でしょう。
「国立銀行条例」を立案し、当時の三井小野組合銀行を、日本で最初の国立銀行へと改組したのです。
第一国立銀行は国の組織でもありますが、同時に民間銀行でもあり、日本初の株式会社でもありました。
その後、頭取となった栄一は、多くの銀行の設立に協力していくことになります。
これこそ、ヨーロッパの経済様式を学んだ渋沢栄一がもたらした「日本経済近代化への大きな一歩」なのです。
また栄一は、実業家や教育者としても多くの事業に携わっていました。
実業家として、日本初の事業を数多く展開。
成功させ、日本の産業に大きく貢献しました。
教育者としては、商法講習所(現在の一橋大学)を設立したことが主な功績です。
また、日本女子大学校(現在でいう日本女子大学)の設立にも関わり、校長も務めました。
このように渋沢栄一は、あらゆる事業を多岐にわたって成功させ、日本経済に大きく貢献したのです。
徳川慶喜の功績を簡単に紹介
徳川慶喜の主な功績についてご紹介します。
それを語るうえで避けては通れないのが「大政奉還」と「江戸城無血開城」です。
大政奉還とは、今まで幕府にあった政権を朝廷に返上するという施策です。
これによって討幕派は大義名分を失い、徳川は朝廷への発言力を残すことに成功しました。
政治戦略的に見ても、非常に優れた政策でした。
江戸城無血開城は、今までの政治の中心だった江戸城を、戦うことなく新政府に明け渡した事件です。
これによって江戸城下にすむ住民約100万人の命が救われたと言われています。
徳川慶喜は、市民への被害を防ぎ、日本という国を外国の侵略から遠ざけた屈指の将軍だったというわけです。
これらの出来事は、日本の近代化を大きく前進させたとされ、慶喜の最も大きな功績となりました。
スポンサーリンク
P>
まとめ
渋沢栄一は成し遂げたことが経済に関わることなので、説明が難しく日本史において大きく紹介されることの少ない偉人です。
ただ、近代日本経済に非常に大きな貢献をもたらしたことは間違いありません。
1万円札になることで、今後話題にのぼることが増えると予想されます。
この記事をきっかけに、一歩進んだ知識を得ておくのもいいかもしれませんね。
コメントを残す