クルエラが微妙でつまらない?面白くないし感動しない理由を考察!

映画「クルエラ」はディズニーのアニメ映画「101匹わんちゃん」および実写版「101」に登場した悪役クルエラ・ド・ヴィル若き日の姿を描くオリジナルストーリー映画です。

残酷で非情なヴィランがいかにして誕生したのかを描くこの作品。

ネットでは、

「微妙でつまらない」

「面白くないし感動しない」

という声が聞かれました。

「クルエラ」は本当に微妙でつまらないのか、面白くない思われている理由はどこにあるのか、考察していきます!

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目次

クルエラが微妙でつまらないと言われる理由

ディズニーの悪役は「ディズニー・ヴィランズ」と呼ばれ、悪役でありながらも人気を博しています。

自分の欲望に忠実で、人間味に溢れているからです。

残虐さや非情さを持っていても、目的のために手段を選ばない貪欲さや努力する姿は、なんだか応援したくなる姿なのかもしれませんね。

映画「クルエラ」ではそんな人気ヴィランズの1人、クルエラの誕生秘話がパンクロック・エンターテインメントとして描かれています。

クルエラが微妙だった、つまらなかったと感じた人は脚本に説得力が足りなかった」「物足りなさを感じたことが原因のようです。

ポリコレ意識・動物愛護への配慮

https://twitter.com/ainekoko/status/1404744836075249667

 

最近のディズニーは、「政治的正しさ」に配慮しているものが多く、脚本も守りに入りがち。

クルエラも動物愛護の風潮に配慮しすぎていて、クルエラの悪役としての狂気を描ききれなかったことに物足りなさを感じたのでしょう

 

求めていたクルエラ像との乖離

ホームレスからのし上がるために盗みなどで生計を立てている姿は、まるでこそ泥のようです。

自分が成功するために他人を利用する傲慢さは、クルエラのヴィランとしての魅力のなのに、なんだか「小物感」が拭いきれません。

クルエラの常軌を逸した行動や狂気を感じられなかった人にとっては「微妙」「つまらない」という結論に達したようです。

クルエラが面白くないし感動しないという声や評価

「101匹わんちゃん」に登場するクルエラといえば「ダルメシアンを誘拐する悪女」

私達が知っているクルエラの情報はそれだけですよね。

制作陣は彼女があのような人物である理由、生い立ちなどを描きました。

クルエラも生まれたときからヴィランではなく、懸命に生きてきた1人の人間であったことを伝えようとしたのです。

この設定が「ダルメシアンを誘拐する悪女」を求めていた観客を失望させ、つまらないという感想を抱かせたのではないでしょうか。

「101匹わんちゃん」の前日譚というなら、もっと悪女である姿を見せてほしかった!ということです。

https://twitter.com/botsurakukizoku/status/1395749333497049091

また、名作映画のヴィランを主人公にすることで、悪役の価値を下げたという意見も。

バッググランドを描くことでハングリー精神の源がわかりますが、そもそもそんなものは必要ないのです。

ヴィランが傷つき、虐げられ、反抗心から悪役になった設定を知らなくても、原作「101匹わんちゃん」の姿に人々は魅了されたのですから。

すべて後付の理由になってしまう悪役の生いたちなんて知りたくない、という人には感動しない内容になってしまいました。

クルエラは面白い

面白くないという意見もありましたが、最高!という意見の人も多いようです。

クルエラが面白いと感じた人にとっては、この映画は「かっこいい」がキーワードになっています。

ヴィジュアル面でのかっこよさ

 

https://twitter.com/furyu_sha/status/1408248514161770499

 

クルエラが面白かったという人は

  • ファッション界が舞台だったこと
  • 70年代のロンドンの雰囲気

などヴィジュアル面音楽性に楽しみを見いだせた人です。

パーティやイベント会場などが多く登場し、ファッショナブルな魅了されたのです。

70年代イギリスをはじめとしたロック音楽も多様されているので、聞いたことのあるメロディにわくわくしたという声も。

自分を解き放つかっこよさ

舞台はパンク・ムーブメントが吹き荒れる70年代。

当時の英国が陥っていた、社会や経済の停滞感を反骨精神でぶち壊そうという機運が高まる時代です。

くすぶっている若者たちの、社会を壊したい新しく作り変えたいというエネルギーに溢れています。

母の死をきっかけに自分を封じ(黒と白の地毛を隠し目立たないように)、生きていたエステラ。

いつしか自分を解き放って、クルエラとして生きることを選びます。

(ちなみにクルエラというのは亡き母がつけたあだ名です)。

「私は女。心の声に従う」
「白黒つけるのは、私。」

など、周りに左右されずに我道を突き進むように。

  • 自分をさらけ出すのは怖い
  • 人からどう思われるのか気になる

ことに、息苦しさを感じている現代の日本社会に生きる人々には、クルエラがかっこよく見えたのです

「101匹わんちゃん」の常軌を逸したクルエラが、人知れず背負って来た苦悩を知り、ますます応援したい!と支持を得たのではないでしょうか。

素性なんか知りたくない、という人と真逆の思考であるのが面白いですね。

受け取る側の視点、立場次第でつまらなくも面白くもなるのは、「101匹わんちゃん」の関連作品という立ち位置では仕方ないのでしょう。

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まとめ

クルエラは微妙でつまらないのか、面白くないのか、感動しない理由は?について考察しました。

クルエラはディズニー定番のファンタジー要素も、ミュージカル要素もありません。

クルエラというヒロインの、成長と気持ちの変化を描くリアリティー路線の作品です。

エステラという少女がクルエラとして自分を覚醒させる過程に自分を重ねてかっこよさを感じた人には、感動するし面白い作品だと思います。

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