木戸孝允の辞世の句や最後の言葉・名言の意味は?逸話やエピソードについても

幕末から明治にかけて活躍した長州藩士であり政治家でもあった「木戸孝允」

倒幕を成し遂げ、廃藩置県を実現するなど手腕を発揮しましたが、西南戦争中に45才という若さで病死してしまいます。

この記事では、木戸孝允が最後に残した言葉や名言の意味を解説するとともに、人となりが見えてくるエピソードもご紹介します。

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木戸孝允の辞世の句や最後の言葉の意味

木戸孝允 出典:Wikipedia

長州藩士時代は倒幕に尽力し、新政府では廃藩置県を成し遂げるなど実力を発揮していた孝允ですが、西郷隆盛が起こした西南戦争のさなかに病死してしまいます。

孝允が死を覚悟したときに詠んだとされる句と、死の直前に発したとされる言葉についてもご紹介します。

 

木戸孝允の辞世の句

「さつきやみ あやめわかたぬ
浮世の中に なくは私と ほととぎす」

意訳:五月の(梅雨)夜のように、正しいことと誤ったこととの区別がつきにくい
この世の中にあって、声を上げ続けるのは私とほととぎすだけなのだ。

 

世の中が大きく変わりつつあるなかで、その当時を生きた人々はなにが正しく、何が間違っているのかわからなくなっていたのかもしれません。

そんな中でも自分の志をもって日本のために戦ってきた孝允だからこそ、この言葉が出てきたのだと思います。

 

木戸孝允の最後の言葉

「西郷もまた大抵にせんか、
予今自ら赴きて之を説論すべし」

意訳:西郷もいいかげんにしないか。
私が赴いてそう諭してやろう。

 

孝允は意識が朦朧とする中で語ったのは、自身のことでも、家族のことでもありませんでした。

新政府と西郷の行く末を案じながら亡くなったのです。

 

木戸孝允の名言と意味

明治初期の木戸孝允 出典:Wikipedia

木戸孝允の名言①

「大道行くべし、又何ぞ防げん。」

意訳:正しい道、自分の信じた道を歩め。それを防げるものは何もない。

 

人の道に外れたことをしたり、自分が納得できていないことをすると上手くいかなくなってしまいますよね。

自分の信念に従って、どんな時も諦めずに突き進めば誰も邪魔することはできません。

 

木戸孝允の名言②

「己の生き方に関わるような大問題を他人に聞くな」

 

人生は選択の連続です。

その中で、どうしていくべきか悩むこともありますよね。

そんな時は頼れる人に話をきいてもらったり、相談することもあると思いますが、孝允は違ったようです。

自分の生き方に自信とぶれない信念があったからこその言葉だと思います。

 

木戸孝允の名言③

「人の巧を取って我が拙を捨て
人の長を取って我が短を補う」

意訳:人の良いところ・長所を取り入れて、自分の短所を補うべきだ

 

人間ですから、得意なことと苦手なことを誰しもが持ち合わせていると思います。

まず自分の苦手なことや弱点を理解して、得意な人に協力してもらったり、上手くこなす人のやり方を取り入れることも良いかもしれませんね。

 

逸話やエピソード

病弱でかなりの病気持ちだった

孝允は45才で病死したとされていますが、詳しい死因は特定されていないようです。

なんといっても、孝允はかなりの病気持ちで、どれが直接的に死因につながったかわからないんだとか。

新政府で意見調整役として奔走した孝允は、仕事柄かなりのストレスを受けていたようです。

明治に入ってすぐから腹痛と下痢に悩まされることとなり、それが慢性化していました。

明治6年には乗っていた馬が転倒した時に頭を強く打ち、脳挫傷負ってしまい、頭痛持ちになったことに加えて左下肢に麻痺が残ってしまいました。

ここまででもかなり大変な目に合っていますが、歯痛に悩んでいた孝允はアメリカ人の歯科医に1日で9本もの歯を抜かれます。

そこまでなってしまうまで放置したこともびっくりですが、1日に9本も抜歯するなんて考えるだけで気が遠くなりますね。

歯と健康はかなり密接な関係だったようで、このことが孝允の健康にかなりの影響を与えます。

もともとの持病もありながら歯を9本も抜いて、もうこのぐらいで終わって欲しいですが、このことによって、重篤な胃腸障害・不眠症・神経衰弱を引き起こしてしまいました。

晩年は大腸がんが肝臓に転移し、血便や肝臓肥大に悩まされました。

最近の調査によると、大腸がんの肝臓転移が死因なのでは?と言われているようです。

こんなにたくさんの病気をしているとは驚きですよね。

途中から人は一生にこんなにも病気に見舞われることがあるのか・・・と気の毒に思えてきました。

幕末期は非常にはつらつとしていた孝允ですが、明治に入ってから感傷的になったり、愚痴が増えたり、優柔不断になったという周囲の証言もあったそうです。

あれだけ手腕を発揮していた人物でも、体調が悪いと実力を発揮できないのですね。

やはり健康の大切さを改めて感じます。

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まとめ

幕末から明治にかけて、近代日本の発展に尽力した木戸孝允。

もし孝允が健康だったなら・・・もう少し生き延びていたら、何を成し遂げていたのだろうと残念でなりません。

彼の残した名言は「自分の信じる道を行け」という強いメッセージを感じます。

現代のネット社会に生きる私たちは、膨大な情報に囲まれて生きています。

その中でも情報を取捨選択して、正しさとは何かを考えて生きていかなければいけません。

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