渋沢栄一と五代友厚の関係や共通点は?政商としての実績も!

2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』で吉沢亮さんが演じる主人公であり、日本近代化の父とも言われる渋沢栄一

新一万円札の顔にも選ばれています。

一方、2015年NHK連続テレビ小説『あさが来た』では、ディーン・フジオカさんが正義感あふれる五代友厚を見事に演じられ、『青天を衝け』でも五代を再び演じることが決まりました。

今回は渋沢栄一と五代友厚の関係や共通点、彼らの政商としての実績をご紹介します。

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渋沢栄一と五代友厚との関係や共通点

東の渋沢、西の五代」と言われる渋沢栄一と五代友厚。

500社もの会社を設立し、東京商法会議所(現・東京商工会議所)の初代会頭も務めた渋沢と、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)初代会頭の五代。

二人とも同時期にフランスやイギリスに渡って現地を視察し、日本の産業の近代化に注力しました。

 

日本の名だたる企業の設立に関わった渋沢ですが、大阪では最初に紡績会社の設立に関わります。

当時は政府主導で紡績所が作られるも、上手くいきませんでした。

そこで5倍近く規模を拡大した紡績所の設立に奮闘します。

その頃大阪では、五代とともに大阪商法会議所を立ち上げた繊維商人たちが、紡績会社の設立を計画していました。

彼らは渋沢と手を組み、1882年に大阪紡績会社を立ち上げます。

大阪紡績会社は日本初の蒸気力紡績会社でした。

渋沢は自らの知見と外国で技術を学んだ技師らの力を活かしながら、資本や設備投資、人材育成に力を入れます。

渋沢が設立した大阪紡績会社の発展が、五代のいる大阪の商人達に刺激を与え、日本の紡績業の発展につながり、日本の近代産業を大きくリードしていきました。

二人に共通して言えるのは、あくまでも事業を私利を追わず公益を図るために行なっていたこと。

特に渋沢は財閥を作らなかったにも関わらず、彼が関わった数多くの会社が今の日本を支えていることが、何よりの証拠と言えるでしょう。

渋沢栄一の政商としての実績

日本を代表する実業家で、近代日本経済の父とも呼ばれる渋沢栄一。

その手腕はすでに20代の時から発揮されていました。

1867年に27歳でパリ万博幕府使節団の一員として渡欧した渋沢は、欧州の先進技術や社会制度などを見聞します。

そして、江戸幕府が崩壊し、帰国後は一橋慶喜が隠棲していた静岡で商法会所を設立。

新政府が静岡藩に貸し付けた石高拝借金と民間から募った出資金によって、金融や多様な商品の売買を行ない、一年たらずで総資本利益率で約30%もの利益を生み出します。

これが近代日本の株式組織の基礎になっていきます。

手腕を認められた渋沢は1869年、29歳の時に大隈重信の勧めで大蔵省に入省し、民部省租税正(みんぶしょうそぜいのかみ)として租税部門長を務めます。

また、改正掛長(かいせいがかりちょう)も務め、度量衡、租税制度、貨幣制度、郵便制度、暦などの改正や、鉄道敷設、諸官庁の建築など、近代化に必要な事業に次々と関わり有形無形の社会基盤づくりに乗り出します。

渋沢自身は大蔵省に4年程しかいなかったものの、後の第一国立銀行や官営富岡製糸場の設立に向けて、大蔵官僚時代から計画的に準備を進めていたのです。

そして1873年、政府首脳の方針に反対した渋沢は、大蔵省を退官し実業界へ転身。

第一国立銀行の頭取を務め、500社近くもの会社の設立や支援、育成に関わり、近代日本経済の発展に貢献しました。

五代友厚の政商としての実績

一方、薩摩で生まれた五代は、渋沢と同時期(1865年)、29歳で留学生としてイギリスに渡り、工業都市マンチェスターなどを訪れます。

五代の知見が活かされ、大阪は日本一の工業都市として発展。

彼の死後、大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれます。

明治に入り、五代は新政府の参与職外国事務掛として大阪の外交に関わります。

貨幣制度の混乱を抑えるため、藩札に代わり国際的に通用する貨幣を発行する造幣寮(現・造幣局)を大阪に創設。

さらに、大阪の財界人とともに大阪活版所や、海外貿易を国家主導にするための大阪通商会社・大阪為替会社を設立します。

そして、政府の条例に基づき130名もの創立株主と大阪株式取引所を開くなど、低迷していた大阪経済を建て直します

1875年、大久保利通や木戸孝允らが新政府の方針を協議した大阪会議が開かれ、五代も尽力します。

その功績が認められ、大阪堂島米商会所や大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立

順調に事業を展開するも、1881年に北海道の開拓使官有物払い下げ事件が起こります。

当時の開拓使官で同郷だった黒田清隆から、安価で官業の払い下げを受けようとし、官僚の癒着が問いただされ、政商と呼ばれるように。

しかし、元々五代は私利がないという人々の認識もあり、大阪での名声は揺るがず、翌年に大阪商法会議所会頭に賛成多数で再選。

その後も大阪の発展に注力し、今日の大阪の街の礎を築きました

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まとめ

幕末から明治にかけて、日本の近代化に大きく寄与した渋沢栄一と五代友厚。

東京と大阪それぞれの大都市で、「政商」と言われながら日本経済の発展に尽力し、彼らの実績がいかに今日の私たちと密接に関わっているのかが分かります。

個よりも公の利益を優先して激動の時代を変えていった彼らの姿勢にこそ、昨今の低迷する日本経済を打破するヒントがあるのかもしれません。

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