麒麟がくる(大河ドラマ2020)34話の感想ネタバレ考察!信長の比叡山焼き討ちの代償

麒麟がくる33話では、延暦寺焼き討ち事件の衝撃的なシーンで幕を閉じました。

この延暦寺焼き討ちを指示した織田信長の考えと実行する明智光秀の考えに溝があるまま行われてましたね。

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覚恕は武田信玄のもとに逃げ、明智光秀が志賀に築城する流れとなり、信長にとっては敵を追い払う形になりましたが、敵は「内」にも生まれていくことになります

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目次

麒麟がくる(大河ドラマ2020)34話信長の比叡山焼き討ちの代償のあらすじ

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元亀二年、比叡山延暦寺焼き討ちを決行した信長軍。

比叡山は武器を持たぬ者もなぎ倒すように殺され、非常にむごい状況になっていました。

覚恕には逃げられたものの、比叡山を叩き潰した信長は上機嫌になり、光秀に滋賀郡一体の二万石の領地を褒美として与えました。

 

一方京には、比叡山から避難してきた難民で溢れ、義昭は二条城の庭を開放し、医者たちに手当をするように命じ、信長に対し憤りを感じていました。

なぜ戦争を止めなかったのかと、義昭は晴門に問い詰めますが、晴門は「公方様は信長様を恩人だと申しておりましたゆえ、幕府は強気になれないのです」と言い、信長という人物と関係を断つように勧めます。

三淵も晴門の意見に賛同しており、大和の国でにらみ合う久秀と順慶の戦が始まったら、幕府は順慶に援軍を送り、久秀を味方する信長と関係性を明確にするべきだと晴門は言います。

晴門は「信長に敵対する」と広く伝えることで、大軍を集めるのだと鋭く義昭に迫るのでした。

 

光秀は京にいる家族のもとに戻りますが、伝吾と珍しい鳥を見に行くとでかけた「たま」が、比叡山の戦で光秀に恨みを持つものに、礫(つぶて)を投げつけられたと聞き、急いで駆けつけます。

そんな事件をきっかけに、光秀は自分を責めますが、たまは「戦はやむおえないのです」と煕子からの教えを、光秀に伝え「父上は悪くありません」と優しさあふれる言葉をかけるのでした。

 

複雑な思いを抱えていた光秀にですが、手当をしてくれていた駒から、「話があります」と呼ばれることに。

幕府が筒井順慶を後ろ盾に、松永久秀と戦を始めるかもしれない。

そう駒から聞いた光秀は、急いで筒井順慶のもとへ向かいます。

光秀と駒は、京に来ていた順慶と話すことになり、順慶も頭を悩ませながらも、

「大和に攻め込むのであれば、放っておけません」と語ります。

光秀は何とか和議に持ち込めないかと考え、今井宗久に協力してもらい、堺で久秀と順慶を会わせようと考えます。

 

34話信長の比叡山焼き討ちの代償のネタバレ考察

信長の比叡山焼き討ちの代償


出典:NHK

比叡山延暦寺は根本中道以下、諸堂社ほどんどが焼き払われており、国宝、経典、古典類は全て焼き払われ、数日間黒い煙に包まれていたといいます。

近年は「麓だけが焼かれた」という説もありますが、それでも被害は相当大きいものであったことは間違いありません

信長はこの事件後、志賀を明智光秀と佐久間信盛を中心に分け与え、光秀は坂本城を築城しています。

京の西側で500以上の堂塔がある地なので、敵陣に軍を置かせないという狙いもあった「焼き討ち事件」だったと思いますが、光秀がそれを「監視」しながら「立て直す」役割を担っていたのかもしれません。

信長が決行した責任を光秀が処理する形であり、焼き討ちによる恨みも「領地を収める光秀」のもとに行く可能性が高いので、そこでの被害や不安が「信長への不信感」に繋がる…そんな描き方があってもおかしくありません。

織田信長と足利義昭の対立が明確化


出典:NHK

義昭は御内書(室町幕府の将軍が発給した私的な書状の形式をとった公文書)を、各地領主に出しており、それをよく思わなかった信長が「殿中御錠」を贈っています。

この殿中忍御掟という9箇条を義昭に突きつけ、更に翌年には加えて5箇条を認めさせています。

そして延暦寺焼き討ち後の1572年には、「十七条の意見書」を送り、信長への報連相なしに何もするなと言わんばかりに、義昭を縛りつけます。

麒麟がくるでは「弱いものを救いたい」というキャラクターで、さらに僧侶だったことから延暦寺焼き討ちに対しては、かなり批判的であると思いますが、その上信長に仕事ぶりをダメ出しされ、「勝手に動くな!」と言われれば関係は悪化して当然。

1572年から義昭と信長の何とか取り持ってきた関係性が崩れ始め、武田信玄に上洛させる策を実行していくのです。

延暦寺焼き討ち後なので、「十七条の意見書」が描かれるのが34話あたりだとすれば、信長と明確な対立が生まれる…そんな回として描かれていきそうですね。

明智光秀が新たな火種もみ消しへ


※出典:NHK

延暦寺焼き討ちの約数カ月後には、松永久秀と筒井順慶が明智光秀と佐久間信盛の仲介で和睦しています

しかし大和を統一したい久秀にとって、この和睦が引き金となってしまったのかもしれませんが、1572年に義昭と「信長包囲網」で信長に対抗していくことになります

1573年に順慶も、信長臣従の証として「母親を人質に出す」などの対策も進めており、1576年には信長の家臣として活躍を続けてきた成果として、大和一国の支配を任されることとなります。

麒麟がくるでは、晴門が久秀の「謀反」に大きく関わっていくでしょう。

34話信長の比叡山焼き討ちの代償のネタバレ

1571年9月、織田信長は覚恕を逃しはしますが、比叡山焼き討ちに成功します。

戦終わりに、光秀は女・子供は見逃したと報告すると、信長は表情を変え「他の者なら、その首はねてくれるところじゃ」と恐ろしい表情をしながらも、その後光秀に「志賀2万石の領地」を与えると伝えたのでした。

一方、二条城では義昭が幕府の者を集め、「なにゆえこの戦を止めようとしなかった!」と説教します。

義昭の叱責に摂津晴門は、義昭が恩人と言っている信長に口出しが出来るはずないと話し、久秀と順慶の大和で行われる戦で、順慶側に兵を出し、信長との立場をはっきりさせるべきと促します。

その頃駒は、二条城で運ばれてくる負傷者を次々と手当する中、京を訪れていた筒井順慶と再会します。

順慶は義昭の力を借り、久秀と戦うつもりだと伝えるのでした。

光秀は延暦寺の焼き討ちで多くの死者がいる仲、傷ついたおきしとたまを見る夢で目を覚まします。

たまは市場へ出かけたと聞き、光秀は嫌な予感を感じる中、市場で伝吾とともに珍しい鳥を見に行ったたまは、光秀を恨むものに石が当てられてしまいます。

頭上から血を流したたまは、東庵のもとへ治療を受け、光秀も急いで向かいますが、包帯を巻いたたまの姿が。

たまは心配する光秀に、伝吾を叱らないでほしいと伝えます。

光秀は「悪いのは父だ。父が叡山で戦をしたからだ」と言いますが、たまは光秀に「悪いのは戦です。父上は悪くない」と煕子からの教えを伝えるのでした。

その後、駒は光秀を呼び出し、義昭が信長のもとを離れようとしていると、光秀に幕府が順慶へ援軍を送るとの情報を伝えると、光秀は「それは止めねば…」と、急いで順慶のもとへ向かいます。

順慶の宿所へ向かった光秀と駒でしたが、順慶は「信長様も加勢してくれると」と話します。

加勢はないと言った光秀に、順慶も信長とは戦う気はない、と本音を伝えます。

そして戦に向かおうとする順慶に、光秀は堺の宗久のもとで再び茶でもしないかと順慶を誘うと、「駒殿もご一緒でしたら」と提案にのる順慶。

宗久の館に着いた光秀と順慶は、館2階へ案内されると、2階には松永久秀が。

久秀は50を過ぎてから、戦前に易をして勝敗を占っているのだと話し、光秀は「当たりますか、占いは」と聞くと、久秀は敵の前で教えないと伝え、順慶も「知りとうございます」と言うのでした。

そんな順慶に久秀は、ある茶入れを見せ「この茶入を1000貫で買うなら教えてやる」と久秀は言いますが、順慶は「せいぜい10貫かと」と伝え、信長が今所持している「初花」こそ、1000貫の価値があると言います。

光秀は久秀を外に呼びつけ、戦をやめるように説得するが、久秀は引く気は一切ありません。

さらに光秀は、自分が信長から授けられた志賀の2万石を譲るという条件を示すと、驚きつつも久秀は、信長と義昭は正反対であり、いずれ対立すると見立てを話します。

信長は「壊す者」で、義昭は「古いものを守る者」であり、上洛時から2人の関係は続かないと久秀は考えていたのです。

延暦寺焼き討ちについて久秀が話すと、光秀は「あの戦い方は自分もどうかと」と苦頭を抱えますが、久秀は「あれが出来ないと、世は変えられんぞ」と言い、光秀も信長も「根は1つ」であり、いずれは幕府と戦わざる得なくなると言います。

光秀の説得もあり、久秀はひとまず順慶と和睦することを決めます。

その後光秀は、久秀と順慶の和睦を信長に報告しますが、信長は幕府から順慶に援軍を出すように言われ、援軍を出すつもりだったと言い、光秀は少し驚きます。

信長は延暦寺焼き討ちについて、帝から「大義であった、頼りにしてる」と言われたのだと嬉しそうに言うのでした。

信長は義昭には最初から期待しておらず、帝が全てだと考えていたのです。

一方覚恕は、甲斐の武田信玄のもとへ逃げ込んでいました。

怒りを顕にする覚恕に、「憎き信長をこの信玄が討ち滅ぼしてご覧に入れます。」と言い、甲斐の虎・武田信玄は動き出そうとしていました。

 

34話信長の比叡山焼き討ちの代償の考察

本当の松永久秀を描く麒麟

出典:NHK

久秀は信長に大和を切り取り次第与えると言われていたので、和睦しろと言われても「無理!」となるのは当然。

久秀は「わしは大和が好きだ、大和は美しい」と光秀に語っており、また「神仏をあそこまで焼き滅ぼすなどの図太さはわしにはない」と言っていた場面には、「久秀が言うの?」と心の中でつっこんだ方も多いと思います。

松永久秀は大和での順慶との戦いで東大寺の大仏殿を焼き払ったという説もあり、そのエピソードのイメージが強いですが、最近の研究では、大仏を焼き払ったのは「久秀の息子」だったという説も出ております。

「新しい説を出す麒麟」として、今までの久秀を払拭したいメッセージのこめられた台詞なのかもしれません。

また、焼き滅ぼす図太さはないと言った後の「あれば天下を取っていた」という台詞は、久秀がかつて仕えていた「三好長慶」を想定して言ったものでは?とも見解されています。

台詞から、本当の人間味ある久秀を伝えたい…という強い意志が感じられる場面でしたね。

光秀と信長は根が一緒?

出典:NHK

光秀と久秀の階段でのシーンで、久秀が「お主がいくら案じようとも、2人はいずれ必ず袂を分かつ」と断言します。

そして、信長は何でも「壊す者」であり、義昭は何でも「守る者」であると語ったあと、光秀は信長の戦の進め方をよく思ってないと話します。

さらにここでの久秀のセリフが印象的。

「しょせん 信長殿とお主は根が一つ」

信長と光秀は真逆に見えますが、実は世の中にある「壊すべきものを壊していく」という意味では一致しているのかもしれません。

今回、延暦寺焼き討ちも「腐りきった僧侶や延暦寺一行」を壊していった中心も光秀と信長です。

心痛める光秀と、けろっとしている信長はこれほど違うように見えて、実は「壊す」という意味では同じ働きをしているのです。

壊すことで、世は変わっていく。

そして今後、光秀が一番壊すべき相手が…信長だと気づくのでしょう。

 

信長を利用する正親町天皇

出典:NHK

久秀と順慶の和睦を報告しに行った光秀は、信長が義昭に「相手にしておれぬ」と言い、正親町天皇には「帝の仰せになることは万事重く胸に届くお言葉じゃ」と尊敬の念を示していました。

一方、正親町天皇は東庵に世間で「覚恕を追い出すため」延暦寺焼き討ちを認めたのではという噂を耳にし、「そうかもしれぬ」と言います。

正親町天皇は「褒めてほしそうだった…褒めてやった」と言い、信長をうまく扱っていたことがわかりました。

 

正親町天皇は、信長が和睦を求めた1570年朝倉・浅井の戦い、1573年の義昭との和睦、1580年の石山本願寺での和睦を勅命し、信長の権力を活かしながら、朝廷の権力回復を狙っていたものと考えられます。

しかし信長は1573年ごろから「譲位(天皇の座を他に譲ること)」を要求するようになります。

信長としては、猶子(兄弟や親族などの自分の子として迎え入れた子)であった誠仁親王を天皇にすることで、自分の権威を築く狙いがありましたが、正親町天皇はこれを拒み続けます。

信長にとって疎ましい正親町天皇でしたが、正親町天皇にとっても信長は非常に疎ましい存在。

そして…この関係性によって、本能寺の変が起き、朝廷が黒幕となっていた説も実はあるのです。

ルイスフロイスも、日本の権力者は信長と正親町天皇であったと伝えています。

今回の正親町天皇の「褒めてやった」は、信長よりも自分が上であり続ける意志を表したものであり、本能寺の変にこの信長と天皇の関係が影響するかもしれませんね。

34話信長の比叡山焼き討ちの代償の感想

今回も見どころは多かったですが、比叡山延暦寺の焼き討ちをきっかけに「信長と周囲の関係」が一気に変わってきましたね。

義昭とは等々決裂しはじめ、帝も「信長を利用する」という意志が固まってきています。

今までどこか我慢していた違和感を、光秀も久秀に伝えていました。

ここから本能寺の変へ着々と心理が動き始めていく…そんな始まりになる回とも言えそうです。

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まとめ

次週ついに「武田信玄」の登場で、その再現度の高さも素晴らしく、家康との戦いも近々見られるでしょう。

そして光秀がついに幕府に追い詰められ、命を狙われるシーンが予告で見られました。

信長につくか、義昭につくか…ついに決断のときが迫っています。

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