松永久秀の経歴や能力は?面白い逸話や最期についても

大河ドラマ「麒麟がくる」では松永久秀を吉田鋼太郎さんが演じられています。

個性的で序盤から登場しているキャラクターです。

実際の久秀も個性的で面白い逸話もたくさんあります。

松永久秀といえばやはり最期が有名で“ボンバーマン”なんていうあだ名をつける人もいます。

今回はそんな松永久秀の経歴や能力、面白い逸話や最後についてまとめていきます。

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目次

松永久秀の経歴と能力

松永久秀の幼少~青年時代の史料はほとんどなく不明な点が多いのですが、1508年に商人の息子として誕生したと言われています。

商人の息子で身分の低かった久秀ですが、1533年頃に細川氏の被官・三好長慶の右筆として仕え始めたと言われています。

右筆とは秘書のことで、主の文章を代筆するのがメインの仕事です。

久秀は事務の仕事を取り仕切る重要な役割を任されることがあったようです

また事務の仕事だけでなく武将として戦に出ることもあり、部隊を任されるほどの実力もありました。

出自がはっきりせず身分の低い久秀がここまでの仕事を任されていたのは、久秀の能力が高かったという証明になりますね。

1549年には三好長慶は対立していた幕府の管領・細川晴元と13代将軍・足利義輝を今日から追放します。

京には将軍が不在となり、長慶は京の実権を握ります。

そして公家や寺社は三好家と関わりを持つようになり、その仲介役をしていたのが久秀でした。

久秀はコミュニケーション力や頭の回転も良く、外交や交渉ごとの能力も持ち合わせていたことになります

 

また久秀は茶の湯にも通じていました。

茶の湯は茶をたてる技術はもちろんですが、茶の間の掛物や茶器などトータルで評価する芸術です。

それらを判断できる目利き力も必要なので、久秀は相当の教養の持ち主だったことがわかります。

相当の名茶器を所有していて、しかもこの教養が後々役に立つことになります。

三好長慶と細川晴元が和睦をすると、追放されていた将軍・足利義輝も京へ戻ってきました。

すると久秀は義輝の御供衆に抜擢されます。

御供衆とは文字通り将軍のお供のこと。

配膳などにまで関わることもあり将軍に非常に近い地位でした。

三好長慶からの信頼も絶大で長慶と同居までしていました。

久秀は三好政権と将軍家の仲介役として重要な役割を果たすようになっていきました

 

しばらくして三好長慶の弟・十河一存や長慶の嫡男・三好義興など、三好家の実力者が次々と亡くなり、1564年には主君の三好長慶も亡くなってしまいます。

長慶が亡くなった後の久秀は三好三人衆らとともに次の三好家の当主・三好義継を支えました。

ですがここで事件が起きます。

久秀の嫡男・久通と三好三人衆、三好義継が将軍・足利義輝を殺害してしまうのです。

久秀は義輝殺害に全く関与していないのですが、首謀者と疑われてしまいます。

そして久秀はだんだんと三好三人衆と対立していきます。

三好三人衆が久秀と義継がいる大和国へ攻め込んできて東大寺大仏殿が焼け落ちるという事件も起きます。

見かねた久秀は京から逃げて雲隠れしますが、織田信長が将軍・義輝の弟である足利義昭を将軍に擁立し上洛するタイミングで京に戻ります。

そして久秀は信長に名器と言われる茶器「九十九髪茄子」を差し出し、三好義継とともに信長の家臣となりました。

信長はこの時茶の湯に凝っていたので、ゴマすりだとわかっていても信長は嬉しかったでしょう。

信長の家臣になってからも久秀はいい働きをします。

信長が越前の朝倉義景を攻めた際に信長のピンチを助けたり、三好三人衆との調停役となって信長との和睦をまとめたりしました。

 

信長との仲は良好…かと思いきや、この頃から久秀はたびたび、信長の家臣の和田惟政や筒井順慶と争うようになります。

しかも信長とライバル関係だった武田信玄と書状で通じ合い何らかのやり取りをしていました。
不穏な動きですね。

久秀は主君であった信長に敵対する意思を明確にしました。

そして久秀は反信長派の将軍・足利義昭、三好義継、三好三人衆らとともに謀反を起こします。

ですが信長軍に包囲され降伏します。

信長は一度裏切った家臣は許さないのですが久秀には甘く、罪にせず許しました。

それにも関わらず久秀はまたもや信長を裏切ります。

久秀は石山本願寺攻めの戦線を離脱し、居城の信貴山城に立て籠ったのです。

不可解な行動にあの信長が戸惑い使者を通して理由を尋ねるほどでした。

ですが久秀は取り合おうとせず。

その行動に信長は激怒し信貴山城を包囲します。

久秀は自ら信貴山城に火をつけ自害

享年68歳でした。

松永久秀の面白い逸話

久秀は個性的だったため面白い逸話がいくつかあります。

例えば多聞山城にいた時に仙人・果心居士を招いた久秀。

果心居士に「今まで戦場で1度も恐怖を味わったことがない自分に、そなたの術で恐怖させてみろ」と言うのです。

仙人・果心居士は久秀に言われた通り、久秀を恐怖させるために自分の姿を女の幽霊に変え、近づいたそうです。

すると久秀は恐怖のあまり顔面蒼白になり、果心居士に「もうやめよ」とお願いしたのです。

案外簡単ですね(笑)

しかも女の幽霊がいなくなった後も恐怖から震えがとまらなかったのだとか。

戦とおばけは別物なんですね。

 

その他には久秀は病気予防のために、毎日決まった時間に頭の上にお灸をしていたそうです

この予防を信貴山城で自害する直前もやっていたのだそうです。

もう死のうとしている人が病気予防ってなんかちぐはぐですね。

松永久秀の最期

松永久秀の最期は自害でした。

松永久秀は信長を2回裏切っています。

1度目は降伏して罪にならず許してもらえたのですが、なぜかまた信長を裏切ります。

それが石山本願寺攻めに向かう最中に居城である信貴山城に籠城してしまいます。

訳がわからない信長は使者を出して理由を尋ねるも、久秀は無視。

信長はさらに説得を続けます。

茶の湯に凝っていた信長は久秀が持っている名器「名器・平蜘蛛茶釜」をくれたら許すよ、と交渉します。

ですが久秀から帰っていた答えは、

平蜘蛛茶釜と我らの首と2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにすると言います。

簡単にすると“平蜘蛛茶釜と自分の首を差し出そうとは思わない。鉄砲で粉々に打ち壊す”という意味です。

首も茶器も絶対に渡したくないという久秀の強い意志が感じられる言葉ですね。

その言葉通り、久秀はその平蜘蛛茶釜を叩き割って城に火を付け自害しました。

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まとめ

今まで恐かったことはないと言いながらお化けにビビったり、自害するために健康のためにお灸をしたりとツッコミどころ満載な久秀。

商人の息子という身分の低い出身でありながら文化人としての教養や外交のためのコミュ力の高さも持ち合わせている、スゴイ人物です。

大河ドラマ「麒麟がくる」でも最期まで気になる存在として登場すると思います。

明智光秀だけでなく松永久秀の動きも要チェックですね。

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