新一万円札の顔に選ばれた大実業家「渋沢栄一」の性格は、どのようなものだったのでしょうか?
今回は、渋沢栄一の人柄、影響を受けた人物や影響を与えた人物などについてご紹介します。
幕末からの経済を近代化させた「日本資本主義の父」は一体、どんな人物だったのでしょうか。
これを知れば、現代のビジネスマンに必要とされている素養が見えてくるかもしれません。
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目次
渋沢栄一の性格や人柄
【青天を衝け】※再投稿
渋沢栄一さん(1840-1931)
大河ドラマが始まるので一応。#渋沢栄一 #大河ドラマ #青天を衝け pic.twitter.com/qUeoO60xWK— デジミ【公式】 (@DigitalMixComp) February 14, 2021
渋沢栄一について調べていくと、彼にはその生き方の幹となる思想が2つあることが見えてきます。
全体を考える
その一つが「全体を豊かに」という考え方です。
渋沢栄一は、あらゆる新事業を立ち上げ成功へと導いてきた、類まれなる商才を持っていました。
この才能の根本となったのは、幼いころの勉学と、自分だけでなく周りの人も豊かにしたい、という考え方です。
栄一は裕福な農家に生まれ、勉学に励むことのできる環境を与えられた、当時としては恵まれた少年でした。
そしてその才を遺憾なく発揮し、官僚へと出世していくわけです。
土着の豪商は、地元の農民たちと協力しつつ商いをします。
そのころに行った農民たちとの交流が、渋沢栄一の「全体で豊かになる」という人格形成に、大きく影響したことは間違いありません。
激情的
また、もう一つの特筆すべき考え方が「尊王攘夷思想」です。
幼いころから勉強熱心だった栄一は、いつしか尊王攘夷思想に傾倒していきます。
農民出身であったことも相まって、当時の武士の横暴な振る舞いに疑問を抱いたのが始まりとされています。
幕府のあり方に疑問を抱いた栄一は、クーデターまで目論みました。
実際に武器や火器を集めて実行寸前まで計画は進みましたが、従弟である尾高惇忠の説得によって思いとどまることとなります。
若かりし頃に討幕へと燃えたその思想は、栄一の中に激情的な一面があることを証拠づけています。
渋沢栄一が影響を受けた人物
日本資本主義の父の渋沢栄一に影響を与えた人物はどのような人たちがいるのでしょうか。
渋沢栄一は彼らからどのようなことを学んできたのでしょうか。
ここでは渋沢栄一が影響を受けた人物、そして渋沢栄一がそこから学んだことを紹介していきたいと思います。
徳川慶喜
並べてみると似ているかも。徳川慶喜と草彅剛くん💖 #青天を衝け pic.twitter.com/M2yZGmjmji
— トンデモ歴史チャンネル (@rGDfU0KgzH2ankI) February 18, 2021
渋沢栄一に影響を与えた人物として真っ先に思い浮かぶのは、15代将軍「徳川慶喜」でしょう。
徳川慶喜は15代将軍就任後、大政奉還や江戸城無血開城をはじめする多くの功績を残した人物です。
渋沢栄一は慶喜を主君と仰ぎ、忠誠を誓っていました。
明治以降の慶喜の汚名を回復するべく「徳川慶喜公伝」を書き記したほど、その義は厚かったようです。
一橋家の家臣となる前の栄一はクーデターを起こす寸前になるほど、尊王攘夷思想に燃えていました。
しかし、一橋慶喜と出会い、国の未来のために邁進する彼に、自らの志を重ねたのでした。
討幕派最大の敵ともいえる一橋慶喜の家臣になったことには、「慶喜公の国に対する献身的な姿勢」という理由が存在したわけです。
この出会いは、栄一の今後に大きな影響を与えたと考えられます。
フリューリ・エラール
またフリューリ・エラールも、渋沢栄一に大きな影響を与えた人物です。
栄一は慶喜の命によりパリ万博へ参加するため渡航したフランスにて、彼と出会います。
フリューリは日本名誉総領事であり、元銀行家という経歴も持ち合わせていました。
当時のヨーロッパ諸国は、日本よりも数段進んだ経済の仕組みを確立しています。
その経済・金融のノウハウを栄一に伝えたのが、フリューリ・エラールだったのです。
近代国家のトップビジネスを学んだ栄一は、やがて日本で大実業家として有名になります。
当時のフランスで学んだ最新の資本主義が、渋沢栄一という大実業家を作った、といっても過言ではないでしょう。
渋沢栄一が影響を与えた人物
ここでは先程とは逆に渋沢栄一が影響を与えた人物と彼らからは渋沢栄一から何を学んだのかを紹介していきたいと思います。
渋沢成一郎(渋沢喜作)や尾高惇忠
まずは従兄である渋沢成一朗です。
彼らは、栄一が一橋家臣団に入るまでの行動をともにした唯一の親戚となります。
武士になった後も端々に協力関係が見えますが、特に維新後の明治時代における財界人として協力し合った場面が多いようです。
栄一の推薦をへて、官僚や事業家など、多くの時節で栄一の後を追うようにキャリアを重ねていきました。
最も身近にいたからこそ、最も強く影響を受けた人物といえるでしょう。
また、渋沢栄一は数々の事業の設立に協力しており、その影響を受けた人の数は計り知れません。
日本初の事業を次々と成功させていった栄一の影響は、日本全土に広がっています。
さらに、栄一は教育にも尽力しました。商法講習所(現在の一橋大学)をはじめとする、いくつかの高等教育機関の設立に携わっています。
また、日本女子大学の創立を支援し、後に校長に就任します。日本における女子への高等教育にも大きく貢献しました。
このように渋沢栄一が影響を与えた人物は数知れません。
今でも多くの著書や事業によって、その人数は増え続けています。
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まとめ
今回は渋沢栄一の性格や人柄、影響を受けた人物や与えた人物を紹介してきました。
皆が豊かになることを願う心と、攘夷に燃える激情性の二面を持った栄一は、主君や近代経済人に影響を受け、やがて「日本資本主義の父」と呼ばれるまでに成長しました。
手がけた事業によって、日本経済の近代化に大きく貢献した栄一。その影響は没後90年となった今でも広がり続けています。
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