明智光秀は本能寺の変で主君の織田信長を討ち、天下を獲ります。
しかしその事実を聞きつけた豊臣秀吉がすごいスピードで京へ戻り、明智光秀と対立し明智光秀は負けてしまいます。
負傷した明智光秀は居城である坂本城へ戻ろうとしたところ、落ち武者狩りに遭い亡くなったと言われています。
そしてその際に辞世の句を残した、と言われています。
明智光秀の残した句は、現代の私たちにも考えさせられる深い句です。
今回はその明智光秀の最後の言葉・辞世の句を詳しくみながら、明智光秀終焉の地も深堀していきます。
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目次
明智光秀の辞世の句(最後の言葉)と意味
十兵衛にとってはまさに“固唾を飲む”シーンが多かった総集編第二集。この“静”なる緊迫感が“動”乱と対比されて効果的に一編を引き締めてたと思う。#麒麟がくる pic.twitter.com/6bGfAigy01
— komame (@kaoi1215) August 17, 2020
辞世の句とは、この世を去るときに詠む詩や和歌のことです。
主君の織田信長を裏切る本能寺の変を起こした明智光秀は、死ぬ間際に2つの句を詠んだと言われています。
どんな句を詠んだのか見ていきましょう。
1つ目の辞世の句(最後の言葉)
一つ目は“心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ”
この句の意味は「私の本心を知らないものは言いたいように言えばいい。私は命も名誉も惜しくない」という意味です。
明智光秀が起こした本能寺の変は戦国最大のミステリーと言われるくらい、謎が多いです。
織田信長を裏切れば謀反を起こした者という裏切り者のレッテルを貼られて生きていくことになります。
そんなリスクを負ってまでなぜ本能寺の変を起こしたのでしょうか?
今でもその謎を解明すべく色んな仮説が立っています。
この句を見ると、きっと当時の仲間からしても「なんで裏切るの?」と言われていたのかなと思います。
他の人からしたら「そんなこと?」と言われるような理由だったとしても、明智光秀にとっては絶対に許せないことが起きたのだろうと想像できる辞世の句だと思います。
2つ目の辞世の句(最後の言葉)
もう一つの句は“順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元”です。
意味は「修行の道には順縁と逆縁の2つがあるが、どちらも同じ1本道である。つまり順境も逆境も実は一つで、究極に言うと人間の心の源に達する大道である。私の55年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ」
明智光秀の哲学がわかる句です。
日ごろから人として行うべき正しい道、道徳は間違えてはいけないと強く思っていたのでしょう。
明智光秀は本能寺の変を起こす前に、織田信長からの命で比叡山の焼き討ちをしています。
逃げ惑う比叡山の僧侶を一人残らず惨殺したという凄惨な事件です。
明智光秀が本当にこの句を読んでいたとしたら、非道な行いだと心を痛めていたのではないかと考えられます。
だけど主君は織田信長。
裏切ればする打首を命ずるような人です。
その時は逆らえず実行したのかもしれません。
また明智光秀は自分たち武士が従うのは将軍様だという考えも持っていました。
しかし織田信長は天下統一を果たすためには将軍家が邪魔だと考えていました。
足利義昭が将軍に就くことを後押ししたにも関わらず、だんだん邪魔になり、京から追い出してしまったという事実もあります。
織田信長が天下を獲ってしまっては、世の中がだめになってしまうと考えたのかもしれません。
そんな明智光秀がこの句を詠んだと考えたら、納得がいきますね。
本能寺の変を決心した?
ちなみに最後の言葉ではないのですが、明智光秀が織田信長を裏切ることを決めたのでは?ということが伺える句もあります。
それが“時は今、雨がしたしる 五月かな”です。
これは明智光秀が本能寺の変を起こす前の連歌会で詠んだ句です。
普通に見ると四季を詠った句に見えますが、これには裏の意味があります。
“時”を“土岐”、“雨”を“天”、“したしる”を“下知る”に変えて詠んでみると、“土岐は今、天下知る 五月かな”になります。
明智光秀の先祖は土岐家出身と言われています。
つまり土岐は明智光秀のことで、自分が5月に天下を獲るという内容の句になるのです。
この時に織田信長を討つことを決めていたことがわかりますね。
明智光秀の終焉の地は明智藪
明智藪 pic.twitter.com/lnjLMna7aO
— タニ (@Tani_Lolows) August 19, 2020
本能寺の変を起こし、織田信長を討ち天下を手に入れた明智光秀ですが、そのわずか2週間後には中国返しで戻った豊臣秀吉と対立し、敗れてしまいます。
敗けた明智光秀は居城である坂本城へ逃げる途中に、小栗栖の竹やぶで落武者狩りの農民に襲われて命を落としたと言われています。
その場所は明智光秀終焉の地として「明智藪」と名付けられました。
場所は京都市伏見区の小栗栖の住宅街のはずれあり、石碑も建てられています。
この「明智藪」には奇妙な現象が起こるそうで、雨の日に前を通るとどこからともなく軍勢の雄たけびが聞こえてくるとか・・・。
お、恐ろしい・・・。
この怪奇現象は明智光秀の祟りと言われているそうです。
勇気のある人は是非行ってみてください(笑)
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まとめ
辞世の句からは明智光秀の強い信念と意志を感じ取ることができました。
大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀も民を第一に考え、自分の信念を貫く芯の強い武士として描かれています。
そんな明智光秀の最期がどう描かれるのか楽しみですね。
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