徳川慶喜の辞世の句や最後の言葉の意味は?終焉の地の住まいについても

「辞世の句」という文化を知っていますか?

一生を歩んできた先人たちが、死を間近にしたとき、一体何を考えるのか。

そこには多くの教訓と、想いが込められています。

今回は、徳川慶喜辞世の句について、また、その終焉の地の住まい生活についてもまとめてご紹介します。

長きにわたる時代に一つの終止符を打ち、新時代の足掛かりを作った張本人は、人生の終わりになにを感じたのでしょうか。

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目次

徳川慶喜の辞世の句や最後の言葉の意味

この世をば しばしの夢と 聞きたれど おもへば長き 月日なりけり

これが、徳川慶喜が最期に詠んだとされる「辞世の句」です。

現代語訳してみると、

の世は短い夢のようなものだと聞いていたけれど、ふり返ってみれば長い月日がたったものだ

また、晩年にはこんな言葉も遺しています。

家康公は日本を統治するために幕府を開かれた。私はその幕府を葬り去るために将軍になったのだ。

 

この句と言葉を本当の意味で味わうには、徳川慶喜という人物について知る必要があります。

徳川慶喜功績として有名なのが大政奉還江戸城無血開城です。

いずれも幕末に起こった出来事で、明治以降近代化していく日本にとって、大きな足掛かりとなった事件でした。

「大政奉還」とは、それまで江戸幕府にあった政権を朝廷に返上する、というものです。

徳川将軍の終わりを意味する、世紀の大事件でした。

ただ、これを行ったことで討幕派は大義名分を失い、内戦を未然に回避することができました。

さらに、新体制の中での徳川の発言力を強めるはたらきもあったため、非常に優れた政策であったと、近年では再評価されてきています。

また、「江戸城無血開城」とは、政治の中心であった江戸城を、戦わずに新政府に明け渡した事件です。

当時、都であった江戸に新政府軍が進行、慶喜はこれを迎え撃つことなく、話し合いを行った後、江戸城を明け渡しました。

これによって江戸に住んでいた市民、およそ100万人の命が救われたと言われています。

民を戦火から守ったのですから、これも徳川慶喜の功績と言えるでしょう。

 

最後の言葉が示したとおり、慶喜は江戸幕府を葬ることで、新時代を切り拓いたのです。

長く続いた徳川政権を終わらせること、それこそが、慶喜の考える「自らの人生の意味」だったのかもしれません。

しかし、そんな激動の幕末において、慶喜が15代将軍として政略に勤しんでいたのは、ほんのわずかの時間だけ。

徳川慶喜は77歳まで生きた、将軍なのかでは最も長寿な人物です。

それを思えば、慶喜にとって政治家として生きた時間よりも、趣味に興じて余暇を過ごした時間のほうがはるかに長く感じられたことでしょう

ここまで理解すると、慶喜の遺した「辞世の句」がより味わい深いものとなるはずです。

若かりし頃に政治家として人生の絶頂期を迎えた慶喜でしたが、今振り返ってみれば、それもはるか昔に感じられる。

そんな、過去を懐かしむさまが浮かんでくるようです。

優れた功績を残しながら、その人生のほとんどを趣味に没頭して過ごした、慶喜らしい句であることが読み取れますね。

徳川慶喜の終焉の地の住まい

徳川慶喜は、その晩年を静岡で過ごしました。

1869年に戊辰戦争が終わったことで、慶喜の謹慎も解かれます。

それにともなって居を静岡に移し、長い余暇を楽しむこととなるわけです。

カメラ油絵など、外国由来の芸術的な趣味も持ち合わせていました。

今も慶喜が残した写真や絵画が残っていますが、かなりの腕前だったことがうかがえます。

歴史に名を残すような功績を残し、その後は趣味を極める。

理想のリタイア生活と言えるかもしれませんね。

また、手裏剣や弓道などの武術的な趣味もあったようです。

このあたりはさすが将軍、といった感じですね。

もちろん弓道などは相当な熟練だったようです。

 

そんな趣味を楽しむ一方、政治からは徹底的に距離をおきました。

かつての家臣たちからの相談事もとりあってはいなかったようです。

静岡に移ったころから、慶喜のなかでの政治家人生は明確に終わっていたのでしょう。

また、市民たちからは「けいき様」と呼ばれ親しまれていたそうです

一時は将軍となった大人物ですが、市民たちでさえ気軽に接することができたという点、人望の厚い人格者であったことがうかがえます

ちなみにこの「けいき」というのは>慶喜を音読みにしたものです。

江戸時代以前の文化では、本名を呼ぶことがタブーとなっていました。

そのため、自身でも「けいき」と名乗っていたようで、その呼び名が市民たちにも定着したものと思われます。

その後、風邪から急性肺炎を併発し、享年77歳で亡くなるまでを静岡で過ごしました。

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まとめ

徳川慶喜のような偉人が残す言葉には、それぞれの功績に裏打ちされた説得力のようなものが宿る気がします。

華麗な政治家生活を早々に終えて、趣味に没頭しながら、余暇を故郷で過ごす。素晴らしい晩年といえますね。

77歳の大往生に際して遺した「辞世の句」には、このような背景があったわけです。

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