麒麟がくる(大河ドラマ2020)の明智光秀の最後を考察!天海として生き延びるのか落ち武者狩りにあい自害する?

大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀

その最後は、羽柴秀吉に敗れた後、落ち武者狩りに遭遇し自害したと伝わっています。

しかし後世では、光秀の生存説がまことしやかにささやかれるようになりました。

その一つが、「光秀は南光坊天海として生き延びていた」という説です。

戦国時代が好きな人は聞いたことのある説ではないでしょうか。

この記事では、「麒麟がくる」の明智光秀の最後はどのようになるのかを考察していきたいと思います。

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目次

麒麟がくる(大河ドラマ2020)のあらすじ

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。

応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか……

そして、麒麟はいつ、来るのか?

若きころ、下克上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。

「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。
引用:麒麟がくる 公式サイトhttps://www.nhk.or.jp/kirin/about/index.html

「麒麟がくる」では、明智光秀の前半生にスポットを当てるようです。

光秀の前半生は現在でも謎に包まれており、推測の域を出ません。

資料が少ない中でどのように光秀を描くのか、とても楽しみですね。

麒麟がくる(大河ドラマ2020)の明智光秀の最後を考察!

いよいよ本題、「麒麟がくる」の明智光秀はどのような最後を迎えるのかについて考察していきましょう。

麒麟がくるの明智光秀の最後は天海として生き延びる

そもそも、南光坊天海とはどのような人物なのでしょうか。

一説によると、天海は、天文5年(1536年)に陸奥国の会津地方で生まれたとされています。

蘆名氏一族の出身で、十歳で出家し、比叡山をはじめとする諸国の天台寺院で学んだそう。

天正18年(1590年)、武蔵喜多院(埼玉県川越市)の住職となり、その後は徳川家康の参謀として活躍し、寛永20年(1643年)に百歳を越える長寿で亡くなりました。

 

では、光秀が天海だとする伝承はいつから語られ始めたものなのでしょうか。

正確なことはわかりませんが、大正5年(1916年)、天海の伝記『大僧正天海』を書いた須藤光暉が以下のようなこと書いています。

「最近一部の考察家が、光秀は天海となり、豊臣家を滅ぼすことで怨みを晴らそうとしたという奇説を唱えている」

少なくとも、大正以前にさかのぼるようですね。

現在、光秀が天海として活躍したという伝承は、学術的には「ありえない」と一蹴されています。

 

ならば「麒麟がくる」でも光秀は落ち武者狩りにあい、非業の死を遂げるのかというと、そうとは限らないと思います。

大河ドラマはフィクションですから、研究結果どおりに物語を進める必要はありません。

実際、光秀=天海説を採用している歴史小説はいくつもあります。

「麒麟がくる」でも、もしかしたら……なんてこともあるかもしれませんね。

 

麒麟がくるの明智光秀の最後は落ち武者狩りにあい自害する

落ち武者狩りにあい自害した、というのが現在語られている明智光秀の最後です。

なるべく通説どおりに描くドラマならば、こちらの説を採用するでしょう。

 

では、「麒麟がくる」はどういった方向性のドラマなのでしょうか。

NHK_PRの記事で、こんな一文を見つけました。

「麒麟がくる」では最新の研究で新たなアプローチがなされ始めている英傑たちの姿を、従来のイメージを覆す新しいキャラクター像として、描いていきます。
引用:http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=14251

これは、「麒麟がくる」では最新の研究を取り入れる、ということだと解釈しました。

ということは、通説であるこちらを採用する可能性が高いのではないでしょうか。

また、「麒麟がくる」の時代考証を担当している小和田哲男先生は、自著で光秀=天海説を否定されています。

時代考証の先生の要望がどれだけ反映されるかはわかりませんが、これはいよいよ通説どおりなんじゃないか、と思ってしまいますね。

 

明智光秀の亡き骸はいろいろなところにある!

明智光秀の墓所だと伝わる場所は各地に存在します。

・光秀「胴塚」(京都市山科区)
・光秀「首塚」谷性寺(京都府亀岡市)
・光秀「首塚」明智明神(京都市東山区)
・光秀「首塚」盛林寺(京都府宮津市)
・光秀夫婦の墓 西教寺(滋賀県大津市)
・桔梗塚(岐阜県山県市)
・光秀の墓(高野山奥之院)

このように、光秀の首塚や墓は、かつて光秀が治めていた地域を中心に点在しています。

また、京都府福知山市にある御霊神社では、宇賀御霊大御神(うがのみたまおおがみ)とともに、光秀を祭神として祀っています。

謀反人のイメージが強い光秀ですが、地元の人々には名君として愛されているのでしょうね。

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まとめ

以上のことより、「麒麟がくる」の光秀は、99%落ち武者狩りで生涯を閉じると思われます。

しかし、前述のとおり、大河ドラマはフィクションなので、必ずしも通説どおりに物語が進むとは限りません。

もし本当に光秀が天海だとしたら……と想像するのは、とても面白いですよね。

もちろん、歴史研究は大切ですし、敬意を払わなければなりません。

でも、そこから想像を膨らませ、俗説を取り入れ、面白い物語を作ることは決して悪いことではないと思います。

この物語はどのような道をたどるのか、光秀の最後はどうなるのか、とても楽しみですね。

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