望月東庵(麒麟がくる)は実在した?モデルとなった人物は曲直瀬道三?

2020年4月現在、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が公開されて約3カ月が経過しました。

ドラマの内、もう5分の1が放送されたことになります。

ドラマでは当時のいろんな職業の人々が登場します。

戦国大名や武士や将軍家だけでなく、農民、鉄砲製造者、漁民や商人、僧侶や大工、旅芸人も登場します。

今回ご紹介するのは、ベテラン俳優堺正章さんが演じる望月東庵(もちづき とうあん)という医師です。

望月東庵はどんな役どころなのか、モデルになった人物がいるのかなどをお伝えいたします。

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望月東庵の役どころ

社会が乱れ、争いごとがひんぱんに起こった戦国時代の京で町人や貧しい人の診療を行っているのが名医・望月東庵です。

医師としての腕はよいものの大の双六(すごろく)好きという愛嬌のある一面もあり、また頑固な面はあるものの、周りの人への思いやりもあり、ドラマでは望月東庵が登場するとちょっとホッとする場面も多く、ドラマの中では癒し系の役どころです。

望月東庵は以前、朝廷や大名と脈をもっていたこともあり、将軍家の家臣にも名前が知られていることもドラマの一場面として登場しました。

明智光秀との関わりでは、光秀の主人であり義理の叔父でもある斎藤道三(利政)の正室小見の方(おものかた)が病気で伏せていたときに、道三の命で光秀が京から美濃へ連れてきた名医が望月東庵でした。

治療の甲斐があり小見の方の病状は回復し、光秀と東庵は次第に心の距離を縮めていき信頼関係を築き上げていきます。

美濃と尾張が対抗していた時期、東庵は織田信秀に呼ばれ、信秀の屋敷で信秀と東庵が仲良く双六をしている場面も放送されました。

望月東庵は、京で町医者をしているものの、将軍家や地方の戦国大名たちにも顔の効く役どころで、今後も光秀のよきアドバイザーとしてあるいはサポーターとして活躍していくことでしょう。

望月東庵は実在した?

今回の「麒麟がくる」の脚本家、池端俊策(いけはたしゅんさく)さんによると望月東庵は実在した人物ではないと語っています。

池端俊策さんは、1991年の大河ドラマ「太平記」の際にも脚本を手掛け、足利尊氏(あしかがたかうじ)の人生も描いていますが、池端俊策さんに限らず、多くの大河ドラマで実在しない人物が登場します。

実在しない人物の役どころは僧侶として主人公の考え方に影響を与える場合や、主人公の隠密や忍者として情報を入手してくる役割を担ったりします。

望月東庵のモデルとなった歴史上の人物は曲直瀬道三?

大河ドラマ、「麒麟がくる」で描かれているのと同じ時代に望月東庵と同様に、将軍家や豊臣秀吉や徳川家康などの戦国大名たちに重用された医者が実在しました。

医者の名前は、曲直瀬道三(まなせどうさん)

1507年生まれで1595年まで生きた人物です。

出生した場所も望月東庵と同様に京都でした。

光秀が信長を後ろ盾にして足利義昭を第15代将軍に就任させたのが1568年(曲直瀬道三 61歳のとき)で、光秀が「本能寺の変」で信長を討った年が1582年(曲直瀬道三 75歳)ですから、信長よりも25歳上に方だったのです。

堺正章さん演じる望月東庵も信長の父親織田信秀や斎藤道三と同世代で、光秀よりも10歳から15歳くらい上に見えますので、大河ドラマの望月東庵の設定は、曲直瀬道三とほぼドンピシャリといったところでしょう。

曲直瀬道三はどんな人だったのか?

近江(現在の滋賀県)に近江源(おうみげんじ)の血筋に生まれた曲直瀬道三は生後間もなく両親を亡くし伯母に育てられます。

幼少期は、滋賀県守山の大光寺内吉祥院で書や詩文を学び、21歳のときには関東へ出て足利学校(あしかががっこう)と呼ばれる学問所で学びます。

曲直瀬道三はこのころから医学に興味を持ち、名医たちに弟子入りして臨床医学者を目指すようになります。

臨床医(りんしょうい)とは、実際に病気にかかっている人に対して症状によって対処する医者のことです。

現在で言えば、内科や外科、産婦人科、小児科、整形外科などのことです。

テレビでよく放送されているように、この時代の医学の中心が必ずしも臨床医学だったわけではありません。

 

光秀自身、妻、煕子が病気にかかった際に臨床医ではなく盟友細川藤孝のいとこにあたる神事の権威、吉田兼美(よしだかねみ)を呼んで祈祷してもらい病気を払う手段をとっています。

大河ドラマ「麒麟がくる」の中では、望月東庵や助手の駒(こま)が街に生えている薬草を採取したり、鍼灸をして患者の痛みを取る場面が登場しますが、これから先もいろいろな治療の場面が登場するかもしれません。

史実によれば、曲直瀬道三は39歳で京都に帰り、都での医療に専念していきます。

「麒麟がくる」の中でも登場する13代将軍足利義輝や三好長慶、細川晴元などを曲直瀬道三が診察した記録が残っていますし、出雲島根にも出向き毛利元就の病の治療をしたことも伝えられています。

また、京都に啓迪院(けいてきいん)と呼ばれる医学校を設立すると、全国から医学生を集め医学教育も行いました。

応募した医学生の数も多く、800人あるいはそれ以上の門人を抱えていたとも言われています。

曲直瀬道三が遺した医学書も少なくありません。

曲直瀬道三が優れていた点は、医者としての技術だけにとどまらず、茶道、書道にも通じていたため、将軍や戦国大名たちにも厚遇されていたとも言われています。

ルイス・フロイスの日本史によれば、曲直瀬道三は晩年、キリスト教に改宗したと記載されていますが、日本国内ではそのような事実は伝えられていません。

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まとめ

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の望月東庵は、架空の人物と言われていますが、同じ時代に京で医療に携わっていた曲直瀬道三(まなせどうさん)がモデルではないかと言われています。

戦いと医療は切っても切り離せないものです。

望月東庵がドラマの中で光秀とどのように関わっていくのかも楽しみですが、戦国の世で東庵が今後、どのような処方をしていくのかを見るのも楽しみですね。

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