伊呂波太夫(麒麟がくる)は実在した?モデルとなった人物は出雲阿国?

2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は例年より1, 2週間遅れて放送が開始されたものの久しぶりの高視聴率を獲得しています。

毎週日曜日を楽しみにしている人も多いかと思います。

さて、過去の大河ドラマや今回の大河ドラマでも、歴史上実在していた人物の他にも架空の人物も多く登場します。

架空の人物は、時には、主人公の気持ちの代弁者であったり、主人公の生きた時代の社会の様子を表現するためなど、ドラマの幅を広げ、正確に時代を伝えるために欠かせない人物です。

今回ご紹介するのは、「麒麟がくる」の中で、尾野真千子さんが演じる伊呂波太夫」(いろはだゆうです。

歴史上実在した人物であったのか否かとモデルとなった歴史上の人物がいるのかについてお伝えいたします。

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麒麟がくるの伊呂波太夫の役どころ

時代は、1500年代の前半、室町幕府が統制力を失い、社会は乱れ、争いや窃盗が絶えない社会になっていました。

京の戦争孤児として育った「駒」(こま)(門脇麦さん演)は、成長した後、堺正章(さかいまさあき)さんの演じる名医 「望月東庵」(もちづきとうあん)のもと、病人の看護をすることに従事しますが、東庵に引き取られる前まで、駒の世話をしていたのが、旅芸人の一座でした。

尾野真千子さんが演じる伊呂波太夫は、一座の座長の娘でしたが成長すると旅芸人一座の座長となり、全国各地を巡り、諸国の大名や公家たちとも面識があり、各地の様子をよく知っている人として設定されています。

そして、明智光秀を助ける役どころになっています。

太夫(たゆう)とは、元々は神主など神職の称号でしたが、後に、能・歌舞伎(かぶき)・浄瑠璃(じょうるり)などの芸能を神事に奉仕する人に意味が転じていきました。

 

麒麟がくるの伊呂波太夫は実在した?

伊呂波太夫は、歴史上実在した人物ではありません

「麒麟がくる」は、池端俊策(いけはた しゅんさく)さんのオリジナル脚本で伊呂波太夫は架空の人物です。

池端俊策さんは、映画『復讐するは我にあり』『楢山節考』などの脚本に携わった人物であり、NHK大河ドラマでいえば、1991年の『太平記』の脚本も書かれた方です。

ドラマ脚本については、抜群にうまい方で、『麒麟がくる』は、足利尊氏を描いた『太平記』のすぐ後の時代になります。

室町時代や戦国時代は、池端さんのもっとも得意な時代のひとつなのです。

 

ちなみに『麒麟がくる』において、歴史上実在してない人物は、伊呂波太夫だけではありません。

門脇麦さんが演じる「駒」
堺正章さんが演じる「望月東庵」
岡村隆史さんが演じる三河出身の農民「菊丸」

などが架空の人物です。

伊呂波太夫のモデルとなった歴史上の人物

旅芸人の一座をドラマに登場させるのは、NHK大河ドラマの中で『麒麟がくる』が初めてではありません。

いくつかの大河ドラマにも登場してきました。

織田信長は能などの芸能を好みましたし、明智光秀は連歌を趣味にしていました。

旅芸人の一座は、比較的武家にも怪しまれず、公家と接する機会もあり、もちろん庶民とも接触できる職業なのです。

その点が、伊呂波太夫を登場させる一番の狙いだとは考えられますが、敢えてモデルがあったということであれば、時代的にも、比較的近いのが出雲阿国いずもの おくにです。

 

出雲阿国(いずもの おくに)ってどんな人

出雲阿国は、出雲の国(現在の島根県出雲市)に1572年に生まれたとされています。

父親は鍛冶職人であった中村右衛門だと言われています。

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阿国は元々、出雲大社の巫女(みこ)をしていました。

その仕事の一環として、諸国を巡回して「ややこ」踊りを披露して出雲大社への寄付を募っていたと言われています。

 

「ややこ」というのは赤ん坊のことで少女2人の可愛らしい踊りだったと言われています。

やがて、「ややこ」踊りは、阿国の一座の十八番になっていったと伝えられています。

阿国の一座は披露する踊りのレパートリーを増やしていきました。

女性が男装して物語の筋に沿って踊るスタイルで後に阿国歌舞伎と呼ばれる踊りを1603年以降、京都の北野神社や四条河原町で興行した記録も残っています。

阿国の一座の演目には、当時の狂言師や芸術的なバックグラウンドを持った人たちによるサポートもあったと伝えられており、演目の中にはセクシーな踊りもあったと伝えられています。

現在の歌舞伎も出雲阿国一座の芸がもとになったと言われています。

 

旅芸人という職業はいつからあったのか?

旅芸人という職業は、日本に限らず世界各地にあった職業であり今もあります。

日本で、いつからこの職業が始まったのかは特定が難しいものの、『万葉集』には「遊行女婦」という言い方で、宗教の宣伝, 勧誘のために行脚(あんぎゃ)して、宗教芸能を披露する巫女のことが取り上げられています。

奈良時代や平安時代には、芸能に従事している女性を遊女と呼んでいたようです。

更科日記にも遊女という文言で登場しています。

平安時代末期から鎌倉時代にかけては白拍子と呼ばれる芸能を職業にする女性がでてきます。

 

旅芸人には2種類があり、日常の職業は農業をしていて一定の季節になると旅をして各地で芸を演じる兼業芸能者と、芸を演じることだけを職業にしていた人たちがいたようです。

農業と芸能を兼業していた人々は、特に正月や各地の例祭のときに芸能を演じていたと言われています。

正月には、各家を訪れ、芸能を披露すると共に、新年をお祝いする言葉を述べる神事を行っていたようです。

現在でも伝統芸能として残っている戎 (えびす) 回し,鳥追い,春駒などは、主に兼業農家の人に演じられていました。

出雲阿国の場合は、本職が巫女で最初は、巫女の仕事の中のひとつとして、芸能を演じていたものの、やがて、一座で中心的な人物になると芸能を専業にすることになっていったのではないかと思われます。

 

関所手形がなくても通行できた旅芸人

旅芸人たちは、身分制度の厳しかった江戸時代でさえ、関所手形を所持していなくても、芸を持っていることを役人に証明できれば、関所手形なしでも通過することができたと伝えられています。

少し、民俗学的な話になりますが、古来から日本人は時を定めて他界から訪れる霊的で神的な存在をマレビト(稀人・客人)と呼んでいました。

マレビトに限らず、外部からの来訪者を歓迎し、宿や食事を提供する風習は、古くから日本人のDNAに刻み込まれており、「おもてなし」に価値を置き、「突然訪れた芸能人を歓迎して1日泊めて食事を共にする番組」が成立するのは日本人だからなのではないかと思います。

ですから、旅芸人は社会の枠組みに入らないほど少数ではあったものの、武家にも公家にも庶民にも歓迎される存在であり、相手の懐に入り込める職業だったのだと考えられます。

旅芸人は諸国の情報を得やすいポジションにあり、今回の「麒麟がくる」の伊呂波太夫に限らず多くの大河ドラマで旅芸人が登場するのは、偶然ではなく、必然だと考えています。

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まとめ

「麒麟がくる」伊呂波太夫の役どころは、旅芸人一座の座長であり、主人公の明智光秀を助ける役どころを演じるのだろうと思われます。

伊呂波太夫は、歴史上実在した人物ではありません。

ドラマを面白くするためや時代を正確に描くために脚本家の池端俊策(いけはた しゅんさく)さんが創作した人物です。

池端さんがモデルにしたかどうかは不確かですが、近い時代に出雲阿国(いずもの おくに)という人物が歴史上、実在しました。

出雲阿国は、元々、出雲大社の巫女(みこ)をしていましたが、出雲大社内の業務だけでなく、諸国を巡回して踊りを披露して出雲大社への寄付を募る仕事もしていました。

阿国は、周りのアドバイザーの協力のもと、阿国歌舞伎と呼ばれる踊りを京都の北野神社や四条河原町で披露し、阿国歌舞伎は現在の歌舞伎のもとになりました。

多くの大河ドラマで旅芸人が登場する理由は、旅芸人という職業が武家にも公家にも庶民にも歓迎される存在であり、相手の懐に入り込める職業だったからだと考えています。

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