今回は足利義昭と明智光秀の関係ついて書いていきたいと思います。
明智光秀が織田信長に仕えていたのは有名ですが、光秀は信長に仕える前に将軍・足利義昭にも仕えていたと言われています。
大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場する足利義昭とはどんな人物なのでしょうか。
そこで今日は足利義昭と明智光秀の関係を書くのと同時に、義昭はどんな人物だったのか?能力や功績・評価などを深堀していこうと思います。
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目次
足利義昭と明智光秀の関係
【キャストビジュアル公開】
足利義昭(あしかが・よしあき)
滝藤賢一#麒麟がくる pic.twitter.com/Wofc3x9q6v— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) December 25, 2019
足利義昭と明智光秀が出会ったのは越前だと言われています。
長良川の戦いで美濃を追われた明智光秀は越前に落ち延び、朝倉義景のもとで浪人として10年ほど過ごします。
その一方京では、足利義昭の兄・足利義輝が三好三人衆に暗殺されてしまいます。
三好三人衆は義輝だけでなく義輝の身内を暗殺してしまいます。
弟・義昭は家臣の細川藤孝の働きでなんとか京を脱出し、越前の朝倉義景のもとへ逃げます。
越前の朝倉義景のもとで初めて明智光秀と出会ったと考えられます。
義昭はかくまって欲しいと朝倉義景にお願いしますが、義景はそのお願いを拒否します。
困った義昭は織田信長を頼るのですが面識がありません。
そこで二人の仲介に入ったのが明智光秀です。
光秀は信長の妻・濃姫(帰蝶)といとこ関係ですし、恐らく信長とも面識があったと思われます。
光秀の仲介のおかげで足利義昭は信長と会うことが出来、信長の働きかけにより足利義昭は征夷大将軍となります。
明智光秀はその頃から足利義昭の家臣として京都の行政に携わります。
領地を与えられ、その国の国務を執行したりと近習的な役割をしていました。
それと同時期に信長の家臣のような役割もしていたと言われています。
光秀、引っ張りだこです(笑)
ですが信長と義昭の中がだんだん悪くなり始め戦に発展していきます。
光秀は義昭の家臣を辞め、信長に就いたことで正式に信長の家臣になります。
足利義昭の能力
以前に放送された大河ドラマの影響で足利義昭と言えば「信長に媚びたり、自分勝手に振るまう問題児」として描かれていたこともあり、無能なイメージが強いようです。
ですが義昭の功績を見て行くと一概にそうは言えないのかなと思います。
武力はなかったものの、知略や外向性に優れていました。
義昭が織田信長に頼ったのも、勢いがある信長と仲良くしておけば自分が征夷大将軍に返り咲けると考えたからですし、実際に京に戻り幕府を復興させます。
そして全国の諸大名に働きかけ自らの権力を強大化させようとしていきます。
ずる賢いというかしたたかというか・・・でもこれも能力の1つですよね。
義昭は知略での天下統一を目指す一方で信長は武力での天下統一を目指していたので、思惑の違いが二人溝を深めていってしまうことになります。
結果的に戦で負けてしまい義昭は京から追い出されてしまうのですが、信長が亡くなり秀吉が天下になってからも彼は生き続け、晩年には秀吉の話し相手になったとまで言われています。
戦で殺されることなく、色々な場所を転々していたのを見ると外向的で人たらしだったのかなと思います。
足利義昭の功績
足利義昭は信長の働きかけのおかげで征夷大将軍となり一度追われた京へ戻ることに成功してからは室町幕府の復興に努めます。
まず最初に義昭が行ったのが近衛前久を朝廷から追放することです。
兄・義輝が暗殺された「永禄の変」に近衛前久が関わっていたのでは?という疑惑があったからです。
その後義昭は幕府復興のため実務に義輝の時にも仕えていた摂津晴門を起用します。
他には義昭とともに行動していた三淵藤英などの奉行衆を復職させます。
また管領家や関白家には領地を与えるなど、政権の安定を計りました。
この頃の信長と義昭の関係は良好で、義昭は3歳年上の織田信長のことを「室町殿御父」と呼んでいたそうです。
義昭にとって信長は自分の兄を暗殺した三好三人衆から身を守るために欠かせない人物でしたし、信長にとっても義昭の持つ権威は信長が目指す天下統一のために利用しない手はないという状態でした。
実際に信長の上洛に背いた朝倉義景と浅井長政が「信長包囲網」という反織田信長の軍勢が結成した連合を作り、戦に発展します。
その戦で窮地に立たされた信長ですが、義昭が両者の間に立ち和睦が成立しました。
義昭のおかげで助かったわけです。
こうして見事幕府の復興を果たした義昭ですが、知略や権力で国を統一しようと考える義昭と武力など力で国を統一しようとする信長とで考え方がズレていき、だんだん信長との仲が悪くなります。
そこで今度は義昭が武田信玄や朝倉義景らに声をかけ「信長包囲網」を築き上げ、信長に戦を仕掛けます。
この信長包囲網は第三次まで続くのですが、いずれも義昭は負けてしまいます。
足利義昭の評価
室町幕府を復興させた足利義昭ですが、室町幕府のラストエンペラーにも関わらず全く人気がなく、評判もすこぶるよくありません(笑)
義昭について調べると無能とか、信長のあやつり人形とか低評価ばかり出てきます。
確かに兄に比べると武力はありませんし武力重視の信長目線だと義昭は無能かもしれませんが、ずる賢く知略に優れていた様子を見ると、無能とは言いきれないのではないでしょうか。
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まとめ
今回は足利義昭について書いていきました。
世間では無能で信長のあやつり人形のイメージが強い義昭ですが、今回の大河ドラマで義昭を演じる滝藤さんのインタビューを読むと今までとは違った足利義昭が見られそうな予感がします。
本能寺の変にも関わってくるかも・・・な人物なので要チェックですね。
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