皆さん、ルイス・フロイスの名前をお聞きになったことがありますか?
イエズス会の宣教師であり、畿内での布教を信長に許可された人物です。
現在でも、ルイス・フロイスが書いた「日本史」は光秀の時代の貴重な資料となっており、この中でフロイスは信長や信長の家臣の性格などにも触れています。
わかりやすく言うと、ルイス・フロイスの見方は、信長は偉大で尊敬すべき人物であり、信長の家臣は光秀も秀吉も悪いやつらばかりという傾向が強いのが特徴です。
家臣たちのことは、かなりの辛口表現で評価されています。
しかし、そんな辛口のルイス・フロイスでも、光秀の建立した坂本城については、安土城に次いで、有名ですばらしい城だと称えています。
今回ご紹介するのは、かって坂本城があった場所、光秀と縁の深い滋賀県大津市で開催されている光秀大博覧会です。
この博覧会は、大津坂本の地、4か所で行われています。
ゆかりの場所をひとつひとつ回ることできっと光秀がどんな人物であったのか、さらに身近に感じられるようになることでしょう。
それではびわ湖大津光秀大博覧会について紹介していきます。
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目次
びわ湖大津光秀大博覧会の展示内容
大津がどうして明智光秀のゆかりの地になったのでそうか。
びわ湖大津光秀大博覧会について紹介する前に大津が明智光秀のゆかりの地になった背景をみていきましょう!
明智光秀は足利義昭と後ろ盾となる織田信長の仲介役を務め、1568年上洛し義昭を室町幕府15将軍に就任させることに成功します。
信長のことを「父」と呼ぶまで頼りにしていた義昭でしたが、将軍就任後の家臣や寺社との関係のことで、きちんと管理できていないと信長に指摘されると、信長のことが疎ましく感じられるようになり、各地の戦国大名に呼びかけ、信長を討つように命を出したのです。
歴史の本などでは、「信長包囲網」(のぶながほういもう)と言われています。
当時、岐阜城を居城としていた信長ですが、西にある京にいたる地域にも、浅井・朝倉軍、そして本願寺、比叡山延暦寺などが信長の前に立ちはだかったのです。
信長の命で畿内の平定を任されたのが光秀。
1569年には、信長軍は、姉川の戦いで退却を余儀なくされたものの秀吉と光秀は金ヶ崎で殿(しんがり)を務め、光秀は1570年には、比叡山焼き討ちを実施し、浅井家とも戦い1571年には、琵琶湖畔に坂本城を築城します。
この坂本城が築城された地こそ、現在の大津市坂本の地であり、光秀は京と比叡山の抑えとなり、さらに西の丹波へと勢力を拡げていくことになります。
展示開催の展示内容
禅明坊
西教寺に並んで建つ天台真盛宗の禅明坊は、この地に先祖を持つ方にとって大切な仏事を執り行う伝統のあるお寺です。
近江の光秀ものがたり展と題した展示では、「麒麟がくる」の映像や小道具、光秀の具足や信長の南蛮兜が展示され、物産販売もされます。
光秀がここ近江の地の生まれであるということを裏付ける資料も展示されるそうです。
明智家が美濃の土岐氏から離反し、多賀町に住むようになり、何代かの後、光秀が生まれたという説があるのです。
また、西教寺の塔頭も展示されます。
西教寺
西教寺は、聖徳太子が創建に関わったと伝えられる寺で、全国にある400を超える末寺を持つ天台真盛宗の総本山でもあります。
信長が比叡山の焼き討ちをした際にこの西教寺も焼失しましたが、明智光秀が坂本城を居城すると、地理的に近いこの西教寺を菩提寺にして西教寺の復旧に務めました。
着手して3年後、本堂も再建されました。
光秀の妻煕子(ひろこ)や一族の墓がこの寺にあり、光秀直筆の書状「供養米寄進状」や地元企業が保有している火縄銃などが光秀公資料館で公開されています。
伏見城から移築した客殿や小堀遠州作の庭もここで見られます。
賀院門跡(しがいんもんぜき)
比叡山を含め多くの大寺院を渡り歩き天台宗などを学び、後に徳川三代の将軍、家康、秀忠、家光に仕えた南光坊天海(なんこうぼうてんかい)に建立されたのが、滋賀院門跡です。
「門跡」(もんぜき)とは、皇族・公家が住職を務める特定の寺院のことで、滋賀院門跡は江戸時代末まで皇族関係者の居所として使われた比叡山延暦寺の里坊です。
滋賀院門跡では、「比叡山坂本と光秀展」のテーマをかかげ、戦国時代、比叡山坂本がどのように戦火に巻き込まれていき、江戸初期においてどのように復興したのか、また織田、豊臣、徳川と為政者が移り変わる中で、坂本や大津がどう変わっていったのかについて解説されています。
南光坊天海の鎧や信長が比叡山に寄贈した磬子(けいす)(仏事の鳴物の一種)や戦国時代の資料も展示されます。
小堀遠州に作られた滋賀院門跡の庭、穴太衆(あのうしゅう)の石垣が数多く残る坂本の町もお楽しみください。
大津市歴史博物館
大津市の古代から現代までの歴史を展示しているのが大津市歴史博物館です。
常設展では、2020年1月から戦国時代の展示物をリニューアルし、光秀に関する歴史資料を充実させています。
明智光秀の企画展を見学する際には、別途、料金が必要になりますが、是非この機会にご覧ください。
企画展である「聖衆来迎寺と盛安寺 ~明智光秀ゆかりの下阪本の社寺(仮)」展では光秀と関わりの深い寺社が紹介されますし、坂本城址のミニ企画展も開催されます。
びわ湖大津光秀大博覧会の開催期間を含む基本情報
禅明坊光秀館
・開催期間:2020年3月8日(日)~2021年2月7日(日) 年中無休
・開館時間:9時~17時(16時30分 受付終了)
・開催地住所:大津市坂本五丁目13-1
・問合せ先:(公社)びわ湖大津観光協会
TEL:077-528-2772 FAX:077-521-7330
・料金:大人500円(禅明坊光秀館入館の場合は別途大人500円要)
西教寺
・開催期間:2019年6月14日(金)~ 年中無休(資料室公開期間)
・開館時間:9時~17時(16時30分 受付終了)
・開催地住所:大津市坂本五丁目13-1
・問合せ先:西教寺 TEL:077-578-0013 FAX:077-578-3418
・料金:
大人(高校生以上)500円(団体20名以上の場合は450円)
中人(中学生) 300円(団体20名以上の場合は270円)
小人(小学生) 200円(団体20名以上の場合は180円)
滋賀院門跡
・比叡山坂本と光秀展 実施期間:2020年3月8日(日)~2021年2月7日(日) 年中無休
・開館時間:8時30分~16時30分(16時受付終了)
・開催地住所:大津市坂本四丁目6-1
・問合せ先:滋賀院門跡寺務所 TEL:077-578-0130 FAX:077-578-8686
・料金:
大人(高校生以上): ¥500 団体(20名以上の場合)は、1人¥400
中人(中学生) ¥300 (個別入館と同一金額)
小人(小学生) ¥100 (個別入館と同一金額)
大津市歴史博物館
・開館時期:
1)常設展:基本的に月曜日休み。
2)企画展:「聖衆来迎寺と盛安寺 ~明智光秀ゆかりの下阪本の社寺(仮)」展
2020年10月10日(土)~11月23日(月・祝)
・開館時間:9時~17時(16時30分受付終了)
・開催地住所:大津市御陵町2-2
・問合せ先:大津市歴史博物館 TEL077-521-2100
・料金:
1)大人(高校生以上): ¥330 団体(20名以上の場合)は、1人¥260
中人(中学生): ¥240 団体(20名以上の場合)は、1人¥190
小人(小学生): ¥160 団体(20名以上の場合)は、1人¥130
2)企画展入場の場合は、下記の金額が追加で必要になります。
・一般: ¥800 団体(15名以上の場合)は、1人¥640
・高校生、大学生: ¥400 団体(15名以上の場合)は、1人¥320
・中学生、小学生: ¥200 団体(15名以上の場合)は、1人¥160
びわ湖大津光秀大博覧会アクセス
公共交通機関ご利用の場合
①禅明坊と②西教寺をご訪問の方は、JR湖西線「比叡山坂本駅」で下車いただいたあと、江若バスにご乗車いただき約7分で西教寺停留所に到着します。
京阪電車の場合であれば、「坂本比叡山口駅」で下車いただいたあと、江若バスで約4分で西教寺停留所に到着します。
③滋賀院門跡
JR湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩で約20分。
京阪電の坂本比叡山口駅からは徒歩で約5分です。
大津市歴史博物館
JR湖西線「大津京駅」から徒歩で約15分です。
京阪電車をご利用の方は、「大津市役所前駅」から徒歩7分です。
お車でお越しの方
・東京方面から来られる方は、新名神高速の大津ICで降りて県道558号他で目的地まで。
・大阪・京都方面からの方は、京都東ICから国道161号線に入って、下阪本ランプ北まで。
そこからは、県道47号線などで目的地へ。
びわ湖大津光秀大博覧会の駐車場
各施設にも駐車場は完備されていますが、西教寺の最寄りには、大津市の無料駐車場、「大津市大宮川観光駐車場」(滋賀県大津市坂本5丁目21 付近)を利用しても便利かもしれません。
それぞれの会場の名称と住所、各会場の駐車可能台数をご案内しましょう。
西教寺
大津市坂本五丁目13-1
駐車場普通車 50 台
*禅明坊は西教寺と同住所になります。
滋賀院門跡
大津市坂本四丁目6-1
駐車場普通車 20 台
大津市歴史博物館
大津市御陵町2番2号
駐車台数 約70台(無料)
※大津市立市民文化会館駐車場と共用。
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まとめ
「麒麟がくる」びわ湖大津・光秀大博覧会は4か所の会場で開催されます。
お得な「禅明坊光秀館・西教寺・滋賀院門跡 3施設セット券」1,200円(当日券)というのもありますので、是非ご利用ください。
また、近くには、光秀が居城にしていた坂本城址があります。
現在は光秀の石像くらいで、普通の公園になっていますが、少し下って琵琶湖の湖岸に立って見てください。
きっと光秀も遠い昔、あなたが見ているのと同じ景色を見ていたことでしょう。
この地に築城した理由のひとつが比叡山延暦寺などの勢力を牽制するためでもありました。
まだ比叡山を訪れたことがない方は、光秀大博覧会を訪れた際に比叡山に行ってみるのもいいかもしれませんね。
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