柴田勝家といえば織田信長の家臣で、勇猛果敢で情に厚く、ファンの多い戦国武将の一人です。
大河ドラマ「麒麟がくる」にも何度か登場しています。
ですが実際に何をした人物なのか?と聞かれるとよく知らない人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は柴田勝家の生涯や経歴、最後に残した辞世の句などを見ていきたいと思います。
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目次
柴田勝家の生涯や経歴
柴田勝家若い〜。たいていの時代劇では勝家は中年か初老のおっさんなので新鮮!#麒麟がくる #柴田勝家 pic.twitter.com/iwgGzZOUNO
— vivid (@vivid_88888) May 17, 2020
柴田勝家の幼い頃の記録は残っておらず、謎に包まれています。
柴田勝家の記録が残っているのは織田の家臣になってからです。
柴田勝家は織田信長の父・織田信秀の頃から仕えていたと言われていて、織田信長に仕える前は弟の織田信勝に仕えていました。
織田信勝に仕えていた柴田勝家が織田信長に仕えることになったのは、兄弟対決がきっかけでした。
織田信勝は兄・織田信長が邪魔で仕方ありませんでした。
そんな織田信勝は謀反を起こし、織田信長を討とうとします。(稲生の戦い)
ですが謀反は失敗し、織田信勝は織田信長に負けてしまいます。
この戦で織田信勝は兄との力の差を見せつけられます。
織田信勝を可愛がっていた母の土田御前にもう謀反を起こす気にならぬようにに釘をさされます。
それなのに織田信勝はまたもや謀反を企てます。
これには家臣たちも呆れて愛想をつかします。
柴田勝家もそのうちの1人で、織田信長に謀反を密告します。
これがきっかけで織田信勝は織田信長に殺害されました。
この出来事の後、柴田勝家の記録は8年間なくなり、何をしていたかは不明です。
再び柴田勝家の名前が挙がったのは足利義昭の上洛です。
将軍・足利義輝が殺害され将軍不在になった京。
将軍の座を復活させるため足利義昭は織田信長を力を借りて上洛します。
柴田勝家は守り役として抜擢され、織田信長の重臣として認められました。
この上洛戦から柴田勝家は織田軍の合戦にほぼ参戦し、第一線で働いています。
戦においての活躍は素晴らしく、勇敢な戦いぶりを表いて「鬼柴田」と恐れられるほどだったようです。
しかし1582年6月2日、主君である織田信長が討たれる本能寺の変が起こります。
柴田勝家はその頃、越中国の上杉景勝が治める魚津城を陥落していたところでした。(魚津城の戦い)
柴田勝家が織田信長の死を知ったのは6月5日だったと言われています。
柴田勝家は急いで駆け付けようとしたものの、攻撃を仕掛けてきた上杉軍に阻止されてしまいます。
結局合流できたのは、豊臣秀吉が明智光秀を討った山崎の戦いの後でした。
織田信長が亡くなった後、尾張では織田信長の後継者を決めるための「清須会議」が行われ、重臣筆頭だった柴田勝家も参加しています。
この会議で豊臣秀吉が勧めた織田信長の長男の嫡子で、当時わずか3歳の三法師が家督を継ぐことになります。
領地分けでは裏切り者の明智光秀の首を取った豊臣秀吉が優遇され、重臣筆頭だった柴田勝家との立場が逆転してしまいます。
豊臣秀吉は不柴田勝家から満がでないように、柴田勝家と織田信長の妹・お市の結婚を認めます。
柴田勝家は織田信長に仕えていたときからお市の方に一目ぼれしていました。
なので柴田勝家は大喜びします。
お市は再婚でしたが、柴田勝家との仲はよかったと言われています。
柴田勝家の最期
柴田勝家の最期は自害でした。
豊臣秀吉はその後どんどん権力を持つようになり、ついに柴田勝家ら織田家の家臣と権力争いが始まります。
1583年の賤ケ岳の戦いで柴田勝家は味方をしていたはずの前田利家の裏切りにより、豊臣秀吉に敗れます。
豊臣秀吉は織田信長の後継者の座を獲得します。
敗れた柴田勝家は自害を決めます。
その際に妻のお市に逃げるよう告げますが、お市は娘だけを逃がし柴田勝家を共に自害すると言いました。
柴田勝家はお市の方の連れ子3人を脱出させることに成功し、その後お市と共に自害しました。
一緒に自害を決めるなんて仲がいい夫婦だったのだなぁと思います。
柴田勝家の辞世の句とその意味
柴田勝家は自害の際に句を残しています。
それがこちらです。
”夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす”
意味は夏の夜の夢のように儚い人生だったが、後世にも届くように私の名を空高く上げてくれ、とホトトギスに願いを託しています。
ちなみにホトトギスは文芸の世界では「あの世とこの世を行き来する鳥」と言われています。
この言葉の由来は古来中国のお話からきています。
蜀の国の元皇帝が、再び皇帝の座を目指すものの、志半ばで亡くなってしまい、ホトトギスとなって鳴き続けたという逸話からきています。
柴田勝家はこのことを知っていてホトトギスという言葉を使ったと思われます。
武芸が達者なイメージがある柴田勝家ですが、実は文芸も達者だったのかもしれません。
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まとめ
今回は柴田勝家について深堀していきました。
戦上手で皆から恐れられてた人物でありながら、奥さんのお市や娘を大切にしていた男気溢れる人物だということがわかりました。
ファンが多いのも納得ですね。
大河ドラマ「麒麟がくる」では登場回数は少ないかもしれませんが、歴史的には重要人物です。
物語にどう絡んでくるのか楽しみですね。
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