NHK大河ドラマ『青天を衝け』で吉沢亮さんが演じる主人公、渋沢栄一。
2024年に発行される予定の新一万円札の顔にも選ばれ、今後ますます注目されていく日本を代表する実業家です。
渋沢栄一は「近代日本経済の父」と言われ、渋沢栄一が生まれた埼玉県では学校の教科書に偉人として掲載されるなど、現在でも非常に名高い人物です。
今回は、そんな渋沢栄一の別名や雅号、また数々の受賞歴や勲章などをご紹介していきたいと思います。
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目次
渋沢栄一の別名や雅号
渋沢栄一の別名として有名なのが、先述した「近代日本経済の父」。
500社もの名だたる企業の設立に関わり、600近くの教育機関、病院、各種団体の運営に携わりました。
渋沢栄一の恩恵を受けていない人は存在しないくらい、現代の私たちの生活に密接に関わっているのです。
JR深谷駅前にある青淵渋沢栄一像(2019年3月撮影)
渋沢栄一は、1840年に現在の埼玉県深谷市で生まれます。
幼い頃の幼名は栄二郎で、後に栄一郎、篤太夫(とくだゆう)、篤太郎(とくたろう)を名乗るようになります。
現在も、生家跡(旧渋沢邸・中の家)の最寄りであるJR高崎線の深谷駅前には渋沢栄一の大きな銅像(青淵 渋沢栄一像)が立っており、深谷市にある渋沢栄一記念館では、渋沢栄一の幼少期のエピソードなどに触れることもできます。
東京都北区にある渋沢史料館(2018年10月撮影)
また、雅号(本名以外につける風雅な名前)は「青淵(せいえん)」と言われています。
江戸時代から桜(ソメイヨシノ)の名所として有名な飛鳥山公園内にある旧渋沢邸跡地(現在の東京都北区西ケ原)には、渋沢史料館があります。
そのすぐ側にある旧渋沢庭園には、国の重要文化財でもある「青淵文庫」と呼ばれる渋沢栄一の書庫や接客の場があり、ここにも「青淵」の文字を見て取ることができます。
ちなみに、この「青淵」という雅号の由来は、渋沢栄一の従兄弟で学問の師匠でもあった尾高惇忠(おだかあつただ)が、深谷にある渋沢家の生家の裏手に綺麗な水が湧き出る美しい淵があったことにちなみ、名付けたと言われています。
渋沢栄一が受賞した勲章
近代日本主義の発展に貢献した渋沢栄一は、その実績が公にも認められ、数々の勲章を受賞します。
・1892年(52歳)勲四等瑞宝章(民間人初)
・1902年(62歳)勲三等瑞宝章
・1911年(71歳)勲一等瑞宝章
・1915年(75歳)大礼記念章、旭日大綬章
・1928年(88歳)旭日桐花大綬章
・1930年(90歳)紫綬褒章、帝都復興記念章
(カッコ内は年齢)
「紫綬褒章」を始め、名だたる勲章を数多く受賞した渋沢栄一。
ちなみに現在、渋沢栄一が生まれた埼玉県では、優れた企業経営と社会への貢献を実践している経営者に対して「渋沢栄一賞」が毎年送られています。
渋沢栄一の位階
渋沢栄一の位階は、以下の通りです。
・1871年(31歳)正六位、従五位
・1872年(32歳)正五位
・1888年(48歳)従四位
・1900年(60歳)正四位
・1909年(69歳)従三位
・1919年(79歳)正三位
・1929年(89歳)従二位
・1931年(91歳)正二位
このように渋沢栄一は、30歳の時に正七位の位階を与えられて以来、次々と功績が認められ、91歳で亡くなる直前には正二位となりました。
ちなみに渋沢栄一が実業界を引退したのが1916年、76歳の時。この時に第一銀行(現・みずほ銀行)の頭取も辞任しています。
渋沢栄一の爵位
渋沢栄一の爵位は以下の通りです。
・1920年(80歳)子爵
当時、日本政府は政治家や官僚へ爵位を授けていましたが、渋沢栄一のような当時の実業家達は政府から私利私欲に走っていると見なされ、爵位を与えられることはありませんでした。
しかし、渋沢栄一の企業設立の実績と、国家の礎となる福祉・医療・教育分野における功績が大きく認められ、近代国家の発展に貢献したという理由から、渋沢栄一に爵位が例外的に与えられたと言われています。
この背景には、当時の日清・日露戦争で国家の財政面が逼迫していたことも挙げられます。
渋沢栄一に爵位が与えられたことで、当時の実業家たちの間で爵位はお金で買えるという風潮が生まれてしまい、三井や三菱(岩崎家)にも男爵の位が与えられるようになります。
そして、後に他の財閥の実業家達も、同様に寄付をして男爵になっていったことから、日本政府は「実業家の爵位は男爵まで」という方針を掲げます。
しかし、渋沢栄一だけは違いました。
渋沢栄一は非営利事業を多く立ち上げ、公益的な精神で国家の発展に尽力し、他の実業家とは一線を画していたことから、実業家でありながら男爵よりも上の子爵の位を授かったと言われています。
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まとめ
今回は渋沢栄一の雅号や勲章、位階、爵位をご紹介しました。社会的地位として当時位階は重んじられていましたが、渋沢栄一は位などを物ともせず、ただ一心に近代国家の繁栄に尽くしたことが分かかると思います。
それが結果的に、後世の評価にもつながっていった。
現代の私たちも、渋沢栄一の姿勢から学ぶところは多くあるかもしれませんね。
余談ですが、今回ご紹介した飛鳥山公園は東京都内の桜の名所としても有名で、これからの季節、特におすすめなスポットです。
渋沢史料館も昨年11月にリニューアルオープンし(※完全予約制)、綺麗になりました。
休日はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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