青天を衝け9話では栄一の祝言の翌日に長七郎が現れ、世の情勢について聞かされた栄一は決心し、江戸行きの許可を父・市郎右衛門に願い出ました。
一方、江戸幕府内では権力を強めた井伊直弼による安政の大獄の実行が行わたかと思えば、桜田門外で井伊直弼が暗殺される桜田門外の変が起こりました。
10話では江戸行きを許可を許された栄一が江戸に行き、現在の世の中の状況を確認したり、和宮の降嫁が描かれます。
10話では和宮の降嫁についても触れられるので和宮の降嫁の考察もしてみたいと思います。
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目次
青天を衝け・10話栄一志士になるのあらすじ
青天を衝け・10話栄一、志士になるのあらすじがどんなものか確認してみましょう。
栄一、江戸行きを認められる
江戸に行きたい栄一はその抑えきれない思いを市郎右衛門に語りだす。
ペリー来航依頼、日本は変わってしました。
横浜、長崎、函館が開港してからは物価は上がるばかりで、麦は3倍、えいや千代が紡いだ生糸は海外に流れて国内では流通しない。
この国がどうなっているのか自分の目で確かめるために江戸へ行かせてほしいと頭を下げる。
市郎右衛門は仕方なく仕事のない時期に一月だけならと江戸行きを許す。
8年ぶりに江戸を訪れた栄一は、江戸でも同様に物価が高騰し、人々が生活に苦しみ以前のように活気がないと感じる。
栄一は先に江戸に来ていた喜作に連れられ儒学者・大橋訥庵の思誠塾(しせいじゅく)に向かう。
思誠塾は尊皇攘夷の志士が集い、大橋訥庵から大地震やコロリで多くの人の命が奪われたのは神の国である日本に異人を入れた天罰で江戸は呪われたのだと聞かされる。
「漫々とみなぎる災の気は容易には去らぬ。だから我らが神封を起こすのじゃ」
その後も栄一は儒学者・海保漁村の塾や北辰一刀流千葉道場に籍をおいて知識を広めた。
ある夜、栄一、長七郎、喜作、村に道場破りに来た真田範之助、医者の息子で大橋訥庵に心酔する河野顕三が思誠塾に集まり密談をしていた。
「今、一番倒すべきは国賊・安藤対馬守だ」
河野の言葉を受けて喜作が栄一に教える。
井伊直弼の遺志を継いだ安藤信正が徳川幕府の権威を守るべく孝明天皇の妹。和宮を将軍・徳川家茂のもとに降嫁させようとしているが、孝明天皇は降嫁を認めていないという。
河野たちは日の本への忠誠心のみで動く名もなき志士の『草莽の志士』を自称している。
「現在、尊皇攘夷を唱えていたはずの水戸、長州、薩摩も藩内の分裂化で弱体化しており期待できない。今こそ、後ろ盾のない草莽の志士こそが立ち上がるべきだ!」と河野が語る。
その言葉に胸を打たれた栄一は「俺も今日この日から・・・草莽の志士になる」
和宮の降嫁
許されたよりも一ヶ月を超えて栄一は喜作と血洗島に戻った。
血洗島に戻った栄一はまた道場に通って剣術の稽古に励んだ。
その頃から尾高惇忠のもとには諸国の志士や脱藩した浪士が訪ねてくるようになり、栄一や喜作も彼ら竹刀を交え、時勢を熱く語り合った。
和宮の降嫁が決まり、和宮の花嫁行列は幕府の威信をかけた大がかりなもので、神輿の敬語や沿道の警備のため諸藩から総勢2万5千人が駆り出される事になった。
行列は中山道を通ることに決まり、街道沿いの村々は夫役を課され、血洗島村も人手を出すように命じられる。
「とっさま、これは幕吏の謀りごとだ」と市郎右衛門から話を聞いた栄一が憤る。
その時、戸口の方で音がするので見に行くと千代が胸を押さえてうずくまっている。
栄一は慌てるばかりだったが、ゑいは千代を休ませて体を擦ると、子供ができたのだろうと言った。
栄一は大いに喜び、その後は千代の分まで畑仕事に励んだ。
そんな姿を見た千代は安心する。
「この子のおかげで、ようやく栄一さんのそんな顔を見ることができた気がします。」
「そんな険しい顔をしておったか。」
江戸に行って以来考えていたことを栄一は語った。
「国を動かすのは何もお武家様だけじゃないことを学んだ。今、日の本を身内のように感じている。だから、いろいろと納得がいかない。」
それでも栄一は市郎右衛門や気さくとともに和宮降嫁に備えて夫役をこなした。
和宮の降嫁は深谷宿を無事に通過し、その後、江戸城に無事に到着した。
大橋訥庵らの挙兵は間に合わず和宮奪還は実現しなかった。
安藤信正の暗殺失敗
河野顕三は大橋訥庵に改めて水戸の浪士と組んで安藤信正を打つべきだと進言した。
これを受けて、大橋訥庵は長七郎に計画に加わるように命じた。
数日後、長七郎は血洗島に戻り、道場で惇忠、喜作、栄一に安藤の殺害計画について話した。
大橋訥庵は水戸の浪士と手を組み、安藤を斬ったあとは日光山で徳川慶喜を擁して兵を挙げ、尊王を大義を尽くそうと考えているとも。
「俺が安藤を斬り、うまくいった暁には切腹する」
尾高惇忠は安藤を一人斬っても攘夷の志を果たすことにはならないと止めた。
「この兄も、もはやじっとはしてはおらぬ。俺たちこそが口火となり、挙国一致し、四方応じて幕府を根元から揺るがす義挙をはかるのだ」
その実現のためには長七郎の力が必要だと惇忠は言う。
長七郎は兄に従い上州に潜伏することを決めた。
大橋訥庵は慶喜宛ての上書に安藤殺害計画を記し、一橋家近習・山本繁太郎に託した。
ところが、山本は上書の内容を幕府に報告、訥庵は幕府に捕らえられたが、河野と水戸浪士ら6人が坂下門外で安藤に斬りかかったが、河野が安藤の背を軽く斬っただけで、安藤暗殺は失敗に終わる。
この知らせは血洗島村にも伝わり、幕府は計画に関わった疑いのある志士を次々に捕縛しているという。
長七郎を上州に逃してよかったと栄一たちが安堵していると、雇っている作男が、今日江戸に行くという長七郎にあった者がいると知らせてきた。
青天を衝け・10話栄一志士になるの考察
青天を衝け10話で気になる点について考察していきたいと思います。
和宮は降嫁したくなかった!
和宮が6歳のとき、孝明天皇の命により11歳年上の有栖川宮熾仁親王との婚約が決められていました。
しかし、和宮が15歳のときに徳川幕府から朝廷に対して「十四代将軍徳川家茂へ降嫁を請う」(公武合体)と執拗な申し出があり、さきの婚約を解消し、承諾することになったです。
和宮はすでに婚約の相手がいたのにも関わらず、江戸まで東下りをしてまで将軍家茂の正室になること(降嫁)は嫌だったようです。
そのことがわかることがいくつかあります。
孝明天皇は議奏・武家伝奏に諮った上で、以下の理由でまずは内願を断っています。
②先帝の娘であり異腹の妹である和宮の進退は、天皇の意志のままにはできない。
③年少の和宮が異人のいる関東へ行くのを嫌がっている。
また、降嫁の内諾が決まったあとに和宮は下記の5つ条件を出しています。
②大奥に入っても、万事は御所の流儀を守ること。
③御所の女官をお側付きとすること。
④御用の際には伯父・橋本実麗を下向させること。
⑤御用の際には上臈か御年寄を上洛させること。
このように和宮は降嫁したくはなかったようですが、降嫁後の将軍・家茂との関係は良好だったようです。
というのも、家茂は和宮を生涯の伴侶としており、側室は持ちませんでしたし、夫婦仲は良好だったようです。
また、家茂が京に上洛した際や長州征伐に向かう際は御百度やお百度参りをしています。
このように和宮と家茂の関係はとても良好だったといえるでしょう。
残念なことにわずか5年という夫婦生活で終わってしまうのでした。
長七郎はなぜ上州でなく江戸に行こうとした?
長七郎は、日光山で挙兵の中止と老中襲撃計画をすることを伝えるために一度帰郷します。
帰郷した際に惇忠や喜作、栄一らに安藤信正の暗殺計画に参加を伝えたものの、兄の惇忠によって「要人一人を暗殺したところで幕府の外交方針の転換は難しい」と助言を受けたため、長七郎は老中襲撃計画から離脱します。
長七郎は計画から離れますが襲撃計画は実行されますが未遂に終わってしまいました。
このことで幕府は計画に関わった疑いのある志士を次々に捕縛していきました。
このとき長七郎はなぜに江戸に向かおうとしたのでしょうか。
考えられるのはやはりさらに老中襲撃をしようということでしょう。
史実では長七郎はこのときすでに上州に身を潜伏していたので、この江戸向かおうとした長七郎の行動は青天を衝けの演出です。
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まとめ
青天を衝け・10話では栄一の江戸での見聞と和宮の降嫁、安藤信正への坂下門外の変が描かれます。
また、江戸での長七郎や喜作、河野顕三らの影響により栄一も草莽の志士になることを決意します。
これからいよいよ栄一が歴史上の舞台に登場していくことになります。
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