青天を衝け17話・篤太夫、涙の帰京のあらすじ・ネタバレと慶喜が天狗党を討伐しようとした理由も紹介していきます。
青天を衝け16話では栄一と喜作は平岡平四郎から命じられた兵力集めに奔走します。
そんななか、恩人である平岡平四郎が水戸藩士に暗殺されました。
青天を衝け17話は栄一と喜作は集めた兵を連れて江戸に向かうところから描かれます。
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目次
青天を衝け17話・篤太夫、涙の帰京のあらすじネタバレ!
では、早速青天を衝け17話・篤太夫、涙の帰京のあらすじをみていきましょう。
栄一・喜作が兵を連れて江戸へ
栄一と喜作は一橋家の領内で一橋家のために仕官したい兵を集め、それらの人々をついれて江戸に向かっていました。
そこに中の家で作男で、二人の弟分の伝蔵が二人の前に現れる。
三人は再会を喜んでいた。
伝蔵は惇忠から預かった文を持ってきており、その文には惇忠や平九郎が無事であることが書かれていた。
円四郎の死亡の知らせを受けるやす
生けた花を居間に飾っていると、そこに川路聖謨が現れ、円四郎が賊に襲われ死亡したこと知らされる。
しかし、やすは信じず冗談かと思っていたが、川路や一緒にきた一橋家の家臣らの態度に事実だとわかるが、それでも信じられず家臣にうそだろとしがみつく。
攘夷運動盛り上がりをみせる
元治元年(1864年)のこの頃に攘夷運動は最後の盛り上がりをみせ、水戸での天狗党の乱、京での池田屋事件で火がついた長州は1600名ほど兵で京へ向かっていた。
長州はこの年の前年、馬関海峡を封鎖して、外国船を攻撃したが海外の列強の反撃にあい敗れる。
海外列強諸国は連なってさらに、下関を攻めいようとしていたが、攘夷論じゃから開国論者へと転身した井上馨(井上聞多)や伊藤博文(伊藤俊輔)らは衝突を避けようと列強諸国と交渉をするが交渉をかわされる。
円四郎を失った慶喜は新しい小姓に髷を結ってもらいながら、初めて円四郎が髷を結ってくれた日のことを思い出していた。
そこに大目付に返り咲いた永井尚志が慶喜のもとを訪れてきた。
長州兵が大挙で京に押し寄せ、伏見藩邸や天王山宝積寺に集結しているという。
慶喜は、すでに予想しており、天使様から長州兵は京に入れるとなとの命である。家老の福原に命じて帰還させよと命じる。
家老の福原は長州は従わぬともしております。
長州は宮中の息のかかった公家らと会津様追悼の兵をあげ天子さまを京からさらおうとしているという。
しかし、慶喜は戦はならぬという。
芋=薩摩が喜ぶだけであるからである。
その数日後、西郷吉之助は小松帯刀らを引き連れて、長州は潰してしまおうと提案する。
薩摩は洗練された兵をかき集めていますし、土佐、福井、久留米も準備はしているという。
慶喜様はどう出るのですかという西郷吉之助の問いに慶喜は無言で対峙していたのでした。
栄一・喜作が円四郎が死亡したことを知る
長州が天子さまを京から連れ去ろうと、伏見藩邸や天王山宝積寺に集結していた頃、栄一と喜作たちは兵を連れて江戸に到着した。
江戸の一橋邸に栄一らが行くとそこには猪飼がおり、そこには豪華なの品が多くあった。
これらは一橋様や徳信院、美賀君らからの見舞いの品ということを猪飼が栄一らに伝える。
栄一と喜作が怪訝な顔をしていると猪飼が平岡様が賊に命を奪われたことを伝える。
栄一と喜作は「平岡様がお命を・・・?、なぜ?」と理解できないでいると、水戸藩士のものにやられ即死だったと言われる。
川村恵十郎も顔を切られながらもそれでも暴徒たちを倒したという。
禁門の変
元治元年7月18日、若狭屋敷にいる慶喜に家臣のものが、長州兵が桂川を渡り、出兵してきたと知らせが入る。
京の市中で長州兵と慶喜率いる幕府軍との戦いが繰り広げられた禁門の変が起こったです。
この禁門の変での戦いで、長州兵に怯む幕府軍の兵に対し、慶喜は馬上から「逃げるな!そなたらも武士であろう!戦え!」と叱咤するのであった。
この慶喜の姿はまるで錦絵のようだと家臣や幕閣から感嘆の声が上がる。
この禁門の変では薩摩が持ち込んだ西洋式武器により長州藩は壊滅的打撃を受け、禁門の変は幕府軍の勝利に終わる。
武田耕雲斎、天狗党の首領へ
禁門の変からしばらくたったのち、栄一らは水戸藩士の藤田小四郎が率いる天狗党が兵を挙げたことを知る。
さらには放火や強奪などをしている輩がいるため天狗党の評判は悪いのであった。
栄一は一緒に酒を飲み交わした藤田小四郎が兵を挙げたとは思っていなかった。
そんな藤田小四郎は天狗党の陣内で武田耕雲斎に首領になって天狗党を率いてもらいたいと懇願していた。
しかし、時期尚早だと諭した身である武田耕雲斎はそうやすやすとは引き受けられない。
「この天狗党は烈公や父・東湖の望みだ!私は無念を晴らしたい。父たちが叶えられなかった尊攘の夢を・・・同士も私の手で叶えたいのです!」という小四郎の言葉に斉昭と東湖の名を出されては嫌とは言えなかった。
武田耕雲斎はこれが最後になるかもしれないと決意して引き受けたのだった。
栄一・喜作、妻子との再会
9月はじめに栄一たち一橋家家臣団は京に向かうために中山道を進んでいた。
商人たちで賑わう深谷宿に差し掛かると笠を深々とかぶった惇忠が歩いてくる。
栄一と喜作は惇忠に駆け寄る。
惇忠は役人の目があるので長いができないと端的に長七郎がどうしているのかの確認や先の小久保の家に千代とよしを待たせていることを伝えて去っていった。
栄一と喜作は久しぶりに家族と再開する
栄一はかつての同士が筑波山で戦っていることで悩んでいると、千代は私はお前さんが選んだ道を信じておりますと励ます。
すると栄一は。平岡様に頂いた務めを守ることが今の俺のするべきこと。
落ち着いたら京になるか江戸になるかわからないが必ず呼び寄せる、待っていてくれと伝えるのであった。
天狗党討伐を決意する慶喜
栄一と喜作は9月18日に京に戻り、慶喜と再会を果たします。
慶喜からは兵を連れて戻ってきたことにお褒めの言葉をもらう。
そんな慶喜から栄一と喜作は「父・斉昭の攘夷を学んだと申しておったな!円四郎は父が私に遣わわせた。それがなぜ、水戸のものに殺さられなければならないか、わかるか。」と問われ答えに窮す。
慶喜は「私にはわかる。円四郎は私の身代わりになったのだ!尊皇攘夷か。まこと、呪いの言葉に成り果てた。」
その頃、天狗党では武田耕雲斎が首領になったことで一時は盛り上がりをみせていたが、資金もそこをつき、勢いを失っていた。
天狗党内では攘夷派である長州へと向かうとの意見があったが、これ以上民を巻き込むわけにはいかないと京にいる慶喜を頼って、天使様に真意を知ってもらい、天狗党が進む道を天使様、一橋様に任せようということになり、京へ上洛する道を天狗党は選んだのだった。
そのことは慶喜の耳にも入り、慶喜が「京へだと?耕雲斎がついていながらなぜ?」
大目付役の永井が「江戸では、慶喜様が天狗党を動かしているという噂もあります。烈公の亡霊にかられ、天子様と一橋様の政府をつくりだそうとしているのだと。・・・どうなされます?」という。
慶喜は「京を守るのが私の役目だ!天狗党を京に入れるわけにいかん。私の手で天狗党を討伐する!」という。
そのことで栄一たちに天狗党の討伐の命が下るのであった。
青天を衝け17話・篤太夫、涙の帰京のネタバレ
ここでは17話で描かれた天狗党を討伐について、なぜ慶喜は自身の出身の藩士である天狗党を見捨てたのでしょうか。
天狗党を討伐しようとした理由について考察してみます。
慶喜が天狗党を討伐しようとした理由の考察
一橋慶喜が将軍後見職を免じられ、禁裏御守衛総督に就くと京の守るために兵を増やさなければならないと、水戸にいる武田耕雲斎に兵を連れて京都に来てほしいと書状を書いているほど武田耕雲斎を信頼してた思われます。
そんな慶喜が武田耕雲斎率いる天狗党を自ら討伐しようとしたのでしょうか。
天狗党は慶喜の父・徳川斉昭が考え出した尊皇攘夷を行おうとしており、天狗党は本気で攘夷決行のために横浜鎖港をしようと考えていました。
一方の慶喜はというと、幕政に関わりたい薩摩などの諸藩を抑え込むために、無理なのはわかっていながら、ポーズとして横浜鎖港をするという策にでます。
慶喜は薩摩藩などの諸藩を抑えるための政策にしか過ぎなかったのですが、天狗党にとってはそんな水戸藩出身の慶喜が拠り所出あったと思われます。
そのため、天狗党、武田耕雲斎は最後、慶喜を頼るために京へ上ったのでしょう。
しかし、そんな慶喜にとっては、攘夷を行うために本気で横浜鎖港を求めてくる天狗党は目の上のたんこぶ、慶喜の立場を悪くする賊でしかなかったのです。
そのため、いくら武田耕雲斎率いる天狗党でも討伐するしかなかったのです。
慶喜にとってまた水戸藩からまたしても賊を出すことは許されなかかったのでしょう。
そのため自らの手で天狗党を討伐して、事の騒ぎを収めたかったのだと思います。
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まとめ
平岡円四郎から亡くなったことを江戸で知った栄一と喜作。
そんな栄一と喜作は平岡円四郎のからの頼みであった選りすぐりの兵を集めて京に戻ってきます。
京に戻った栄一は更に同士であった小四郎は天狗党として挙兵したこと、そして、慶喜が自ら討伐することに驚かされます。
18話では栄一らが天狗党討伐に赴くようです。
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