松平春嶽の名言や辞世の句の意味は?逸話やエピソードと最後についても

幕末期に幕政に影響を与えた島津斉彬や伊達宗城、山内豊信(容堂)と並び「幕末の四賢候」の一人とされる人物であった松平春嶽(慶永)

名君として評価された彼は、どのような名言を残し、どのような最後を迎えたのでしょうか。

辞世の句や逸話、エピソードもあわせて、わかりやすくご紹介します。

目次

松平春嶽の名言の意味

松平春嶽 出典 :https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E6%98%A5%E5%B6%BD

松平春嶽の名言①

「我に才略無く我に奇無し
常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ」

意訳:私にはすぐれた才能も知恵も無ければ、特別な力も無い。
ただ、常に周囲の言葉によく耳を傾けて、その中で良いと考えられる意見に従うまでだ。

 

幕末の四賢候とされる春嶽ですが、この名言から見える彼はかなり謙虚な人物だとわかります。

自らが藩主を務めていた福井藩は財政難に苦しんでいましたが、周囲の意見を聞いて必要な手だてを打ったり、意見を取り入れることで、財政を立て直しました。

若くして財政難にあえぐの福井藩主となった春嶽ですが、彼の謙虚で真面目な姿勢が藩改革を成功に導いたのかもしれません。

松平春嶽の名言②

「自ら反りみて縮からずんば 褐寛博と雖も吾懼れざらんや
自ら反りみて縮かれば 千万人と雖も吾往いかん」

意訳:自らを顧みて正しくないと分かれば、たとえ相手が取るに足らない人物でも私は恐れる。しかし自らを顧みて正しいと思うのであれば、たとえ千万人の的であろうと私は恐れない。

 

この言葉は、京都の霊山歴史館にある松平春嶽の座右の銘です。

春嶽は自身の言葉や行動に責任とポリシーを持った人物だとわかります。

 

松平春嶽の逸話・エピソード

りんごを日本に導入

もともと日本に自生していなかった「りんご」(西洋りんご)は、実は春嶽がルーツだったとご存知でしょうか。

春嶽はアメリカからりんごの苗木を取り寄せて、江戸・巣鴨の福井藩屋敷に植えました。

これが日本で西洋りんごが植えられた最初と言われています。

その数年後に津軽の旅籠屋・平野慶太郎という人物が、春嶽が植えた苗を接ぎ木したものを江戸の植木屋から購入。

それを津軽に持ち帰って、植え付けをしたものが青森りんごの始まりと言われています。

青森はりんごの名産地として知られていますが、背景にそんな歴史があったとは驚きですよね。

 

はじめて自転車に乗った日本人

1862年、春嶽は江戸の福井藩屋敷で「ビラスビイデ独行車」に乗って楽しんだ、と文献に記録が残っています。

ビラスビイデ独行車は三輪の自転車のこと。

当時の道路環境を考えると、相当な力を入れないと走れなかったのでは・・・?と推測できます。

しかし当時謹慎中だった春嶽にとっては、自転車に乗って身体を動かすことが楽しく、ストレス発散になっていたのかもしれません。

 

藩民に寄り添った若き藩主

当時かなりの赤字に悩まされていた福井藩でしたので、若くして藩主になった春嶽は、まず藩民の現状を知ろうと考えます。

あるとき道端で会ったおばあさんに、いつもどんな食事をしているのか聞きました。

菜雑炊と稗団子を食べていると聞き、試しに食べてみるととても不味くて食べられるものではなかったそうです。

そんな庶民たちの貧しい現状を知った春嶽は、自身が一汁一菜と漬物だけで食事を済ませるようにし、着物も質素な木綿にするなど、自ら率先して倹約に取り組みました

そんな姿を見た藩民たちにも誠意が伝わり、みんなが親しみをこめて春嶽さん」と呼んでいたそうです。

松平春嶽の最後

戊辰戦争まで慶喜に仕えた春嶽は、王政復古後の薩摩と長州による討幕には賛同しませんでした。

維新後の明治政府においては、民部卿・大蔵卿などの要職を歴任しましたが、1870年には政務を退くことになります。

その後、春嶽は肺水腫を患い、小石川の自宅でひっそりと息を引き取ります。

享年63才でした。

そんな春嶽は辞世の句を残しています。

「なき数に よしや入るとも 天翔り
御代をまもらむ すめ國のため」

意訳:もし私が生き返らなければ、私は国を救うために天を翔けるだろう

 

最後の最後まで、国を思う春嶽は確かに名君でした。

しかし、春嶽は後世において

「世間では四賢候などと言われているが、本当の意味で賢候だったのは島津斉彬公お一人であり、自分はもちろんのこと、水戸烈公、山内容堂公、鍋島直正公なども到底及ばない」

と語っていたそうです。

どこまでも謙虚で、かつ周囲の人間を客観的によく観察している人物だと言えるでしょう。

まとめ

これまで、松平春嶽の名言やエピソードなどご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

実力と地位があっても、身分に関係なく人の意見を取り入れたり、謙虚な姿勢を貫くことは、なかなか難しいことです。

春嶽は自分の信念を持ちながら、周囲との調和を図って政務を行う、バランサー的要素を持ち合わせた名君だったのではないでしょうか。

世間が評価するように、「幕末の四賢候」だったと言えるでしょう。

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