青天を衝け14話・栄一と運命の主君のあらすじネタバレ考察!慶喜との出会い方は本当だった?

青天を衝け13話では、京にいる栄一は長七郎に上京するように促します。

長七郎が道中に飛脚を辻斬りしてしまい、倒幕の記載された文を長七郎のが持っていたため状況が一変します。

14話ではそんな栄一らが慶喜との出会い、一橋家に士官する機会が訪れます。

14話のあらすじネタバレ考察と慶喜との出会い方は演出通りなのか調べてみました。

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目次

青天を衝け14話・栄一と運命の主君のあらすじ

青天を衝け14話・栄一と運命の主君のあらすじをみていきましょう!

一橋家仕官へ戸惑い

円四郎から再び一橋家に仕えるように迫られた栄一と喜作はよく相談してから返事をしたいと答える。

二人が仕官しなければ捕らえられるとわかっていながら、簡単には意志を曲げないことに円四郎は驚いた。

旅籠に戻った栄一たちは幕府を転覆させようとしていたものが徳川の一橋家に仕えれば、志を曲げ幕府の犬になったと後ろ指を刺され、ここで命をたったほうが潔いと言われるはずだ。

だが、生きて、この先の行動で誠を示せば心を示すことができると語り、「一度試して、一橋家に仕官してみんべ。そうすれば長七郎を救い出す手立ても見つかるかもしれない。」

栄一の言葉に喜作もうなずく。

後日、栄一たちは円四郎を訪ね、慶喜に拝謁し、政への自分たちの意見を建白させていただき、その上で見どころがあるとのことであればおぼし召しいただきたいとと頼んだ。

板挟みの慶喜

二条城の一橋詰所を訪ねてきた老中の酒井忠績(さかいただしげ)と水野忠精(みずのただきよ)に「無謀の攘夷は好まぬ」という天皇の意向を慶喜は伝えた。

幕府は朝廷から攘夷を迫られ対応に困っていたが、これで攘夷に縛られることはなくなると、横浜の鎖港の件も引き下げて良いと言いかけると、酒井忠績が反論する。

「薩摩が港は閉じぬほうがよいと申しているとのこと。薩摩が『閉じるな』なら、幕府は『閉じよ』です。」

公家に取り入り、公家の意図を引いているとの噂の薩摩に幕府は従うことができないとのこと。

このことに慶喜は、朝議参与を務める島津久光、松平春嶽、伊達宗城らと共に協議した。

島津久光らはあくまで鎖国を中止して開国すべきと主張する。

朝議参与でありながら、幕府の将軍後見職でもある慶喜は複雑な立場に立たされる。

一橋家家臣へ

慶喜は憂さ晴らしに郊外の松ヶ崎へ馬を走らせようと決める。

円四郎はその機会に栄一らを慶喜に拝謁させようと「お前らは馬に負けないように駆けろ。走り抜いて、どうか姿をお見せして名を名乗れ!」

そうでもしないと百姓身分の栄一たちを慶喜に会わせることはできない。

慶喜が松ヶ崎へ馬を走らせる当日、栄一らは円四郎から言われたとおり、慶喜が馬に乗って走り去る際に必死に馬を追いかけ、慶喜と言葉を交わすことができる。

「どうかこの渋沢をお取り立てくださいませ!」

「言いたいことはそれだけか?」

「いいえ、たくさんございます!」

数日後、慶喜から呼び出された栄一らは話をする機会を得る。

慶喜との拝謁に緊張しながらも栄一は思いのたけを必死に語った。

「幕府はいつ崩れたっておかしくないありさまです。一橋様におかれましては、なまじそんな幕府を取り繕うとお思いにならなほうがよいと思います。幕府はまずほっといて、日の本ためにこの一橋家をでっかくするんです。」

「そのためには、自分たちのように天下を乱そうとするほど力の有り余った志士を家臣にして、一橋家をもり立てることが急務です。水戸烈公のお子である一橋様に大きくなっていただきたいのです!」

栄一の暴論を聞き終えた慶喜は返事もせずに円四郎を伴って立ち去る。

しばらくすると円四郎のみが戻ってきて、「古臭い『攘夷』って考えは文久の世で消える。これからは異国を振り払うんではない。我が日本も国としてきっちり談判するんだ。」

そのために公儀は必死に国を守ろうとしている。

「我が殿も、朝廷や公方様、老中、薩摩、越前やらと毎日一切合財を相手にしながら一歩も引かない強情もんだ。少しはこの世のことがわかったかい?分かったら、この先は一橋家のためにきっちりと働けよ」

こうして、栄一と喜作は一橋家で働き始める。

最初に命じられた仕事は若さ屋敷での大量の書類を書物蔵運ぶという力仕事だった。

与えられた住まいは狭い長屋で、無一文の二人は一橋家家臣の猪飼勝三郎に借りた金で僅かな家財道具を買い、初めて自分たちで煮炊きして生活を始めた。

政治主導権は幕府に戻る

松平春嶽は朝議参与の諸侯を老中の上に置き、国事を審議する権限を与えるように幕府に求めたいと慶喜に言う。

薩摩藩が天皇に信頼の厚い中川宮朝彦親王に取り入ってこれを後押しし、数日後に春嶽の希望が通った。

一橋詰所に慶喜と春嶽、幕政に参加することを認められた久光、宗城、山内容堂らが集まって宴会を開いていると上洛中の将軍・家茂が現れ、宗城らに酌をした。

「これからよろしく頼む」

家茂が去ると、容堂らは徳川の威光も失われたと嘲笑う。

久光は朝廷はもはや横浜鎖港はこだわっていないと中川宮から聞いたと慶喜に言う。

そのことを聞いた慶喜は「間違位ございませぬな?直に話を聞いてまいります」

慶喜は即座に中川宮の屋敷に向かうので、久光、春嶽、容堂らも慌ててあとをついていく。

慶喜の詰問に中川宮は震えながら「そのようなことを言った覚えはない。」

慶喜は「ご返事によってはお命を頂戴し、私自身も腹を切る覚悟で参りました。朝廷の意見が薩摩の工作ごときでころころと変わり、人を欺くのであれば誰が朝廷の言うことなど聞くものか。公儀は横浜の鎖港を断固やる。ここにいる三名は天下の大愚物。天下の大悪党です。」

慶喜は徳川に政権返上など決してさせないと決意する。

あとを追って駆け寄ってきた春嶽に「私はあくまで徳川を、公方様をお守りいたします。」

この日を堺に朝議参与たちによる会議は消滅し、京での政治主導は幕府に戻ることになる。

青天を衝け14話・栄一と運命の主君のネタバレ考察

ここから青天を衝け・14話栄一と運命の主君で描かれる内容について考察してみたいと思います。

栄一と慶喜との出会い方は本当?

青天を衝け14話・栄一と運命の主君では、慶喜が馬掛けにでかけた際に道中で栄一たちが慶喜に遭遇し、馬掛けで走り去る慶喜を栄一たちが必死に追いかけて話しかけるシーンがあります

栄一と喜作は慶喜と実際にこのような出会い方をしたのでしょうか。

栄一と喜作は実際にこのシーンとほぼ同じような出会い方をしたようです。(史実ということです。)

渋沢栄一は自身が著した自叙伝「雨夜譚」で詳しく慶喜との出会いについて語っています。

栄一らは京に来て、情報集めなどに時間を費やしていましたが、平岡円四郎と呼び出され話す機会がありました。

円四郎に呼び出された栄一らは身辺事情について聞かれます。

高崎城乗っ取りや横浜外国人居留地の焼き払いなどを計画をしていたヤバイ過去があったため、そのことを素直に話します。

円四郎はその事情を知った上で、再び一橋家家臣になるように栄一たちに伝えました。

栄一と喜作はそれでも一晩考えさせてほしいと円四郎に伝え、一晩熟慮した結果一橋家に仕官することを決めるのです。

栄一と喜作は一橋家に仕官する上で、慶喜に拝謁した上で召し抱えいただきとと伝えます。

しかし、円四郎はそれは前例がないので難しいと答えますが、一度検討してみようと答えたようです。

数日後、円四郎から拝謁の工夫がついたと言われます。

更に数日後に慶喜公は京都の郊外の松ヶ崎へ馬掛けするから、その道中にて御見かけしたようにする。

慶喜公は乗馬で走り去るから、慶喜公を追うために走らなければならない。

慶喜の松ヶ崎への馬掛けの当日に、下加茂辺りから山鼻までの十町余りを必死に走り抜いたようです。

その後、一両日後に、慶喜に拝謁して、建言の趣旨を遠慮なしに申し上げ、更に後日もう一度、慶喜に拝謁する機会があり、更に栄一と喜作は思うところを申し上げたようです。

慶喜は気の強い人だった?

青天を衝け14話・栄一と運命の主君のあらすじをみてみると徳川慶喜と薩摩の意向で朝廷の意見がコロコロと変わることに怒り爆発しています。

このように慶喜は気の強い人物だったのでしょうか

慶喜の性格を調べてみると、慶喜は下記のような性格だったようです。

・我が強い
・臆病者(味方をおいて逃げる)

 

慶喜が我が強いというのは本当のようだったようです。

青天を衝け14話・栄一と運命の主君でも描かれているように、薩摩の意向で朝廷の意見が変わることに怒りを覚え、公家の中川宮朝彦に対して暴言を吐いたという説もあります。

これは自身の思っていることをはっきりと言う性格だったようです。

他にも、井伊直弼が違勅で日米修好通商条約を締結した際も怒りを現したりと我が強い性格だなと思われていることがおいです。

また、慶喜は臆病者な性格であったとの噂もあります。

というのも鳥羽・伏見の戦い後の味方を戦地において、さっさと江戸に「敵前逃亡」するというある意味、非道な性格であったような一面もあります。

しかし、このときは、国内で内戦していると米国などから干渉を受けてしまうので、干渉を受けないようにとの考えで敵前逃亡したとの味方もあるようです。

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まとめ

青天を衝け14話では、栄一と喜作は慶喜に拝謁することができ、思いのたけを申し上げます。

その意見の建白を聞いた慶喜は栄一らを家臣として召し抱えることを決めました。

これが栄一と慶喜の出会いです。

栄一が表舞台へと登場する回でした。

今後の栄一がどのように活躍していくか見ものですね。

 

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