NHK大河ドラマ『青天を衝け』で吉沢亮さんが演じる主人公、渋沢栄一。
大河ドラマの影響で人気を博していますが、500社もの会社の設立に関わり、600近くもの教育機関、病院、各種団体の運営に携わったという実績があります。
一方、二度にわたり内閣総理大臣を務め、早稲田大学の創始者でもある大隈重信。
実は新政府に出仕した時の渋沢栄一の最初の上司でもあります。
今回は、そんな渋沢栄一と大隈重信の関係や共通点、出会いのエピソードをご紹介していきたいと思います。
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目次
大隈重信と渋沢栄一の関係
大隈重信と渋沢栄一は、上司部下の関係にありました。
渋沢栄一は29歳で大蔵省に仕官しますが、そのきっかけを作ったのが大隈重信と言われています。
後述しますが、渋沢栄一は官民合同の出資を募り、静岡藩で「商法会所」を設立しようと企てます。
しかし、大隈重信から中央政府の役職に推薦され、登用されることになります。
後ほど紹介はしますが、渋沢栄一は大隈重信から、『君も日本神話の一人』だと信念論を説かれ、心を動かされて日本の中央政府機関職員へと歩み出すのです。
大隈重信と渋沢栄一の共通点
大隈重信と渋沢栄一の二人には、先述の「商法会所」にあるように、商業に関する共通点が見受けられます。
早稲田大学の創設者である大隈重信と、東京高商(現在の一橋大学)の設立に尽力しますが、どちらの大学にも商学部があります。
商人の精神を大切にしながら商いを学ぶ学生を育てていく。
両者の精神は、今でも脈々と受け継がれているのは言うまでもありません。
渋沢栄一との出会いや官僚にした理由
1869年に渋沢栄一は「商法会所」を設立します。
設立にあたって、西洋で行なわれていた共力合本法(現在の株式会社制度)を採用するため、官民合同の出資を募り、旧幕臣の多くいる静岡藩で商法会所を立ち上げようとした矢先、中央で「大蔵省租税司正」の役職を命じられました。
税金のことを知らない渋沢は、自分を中央に推薦した人物を調べたところ、「大輔」という役職に大隈重信の名前があるのを見つけます。
渋沢栄一自身、まさに静岡藩での取り組みが始まろうとしていた矢先で、目をかけてくれた一橋慶喜への恩もあったため、大隈重信に辞退を申し出ようとしたところ、大隈重信からは「日本は新しい国造りが始まっており、我々はいわば日本建国について議論した八百万の神々である。君も八百万の神々の一人なのだ」と口説かれます。
そして、「皆分からないことだらけであり、今はとにかく民間の力を借りるだけである」と説得されます。
大隈重信の視野の広さに驚いた渋沢栄一は納得し、彼の意見を呑み込みます。
また、大隈重信は、渋沢栄一の静岡藩での事業についても「商法会所の経営も良いが、静岡藩の一部の仕事に過ぎないだろう。しかし、われわれの仕事は、日本という国全体を動かすような大きな仕事である」と述べています。
こうして大隈重信に説得され、渋沢栄一は大蔵省へ入省し、国の中枢で大進撃を遂げていきます。
ある意味で大隈重信は、静岡藩で商法会所という銀行の先駆け的な事を行うとしている渋沢栄一の先見の明を見抜き、国の中枢に登用したのでしょう。
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まとめ
今回は渋沢栄一と大隈重信の関係性についてお伝えさせていただきました。
かの日本を代表する実業家であった渋沢栄一の実績も、大隈重信という引き立て役との出会いがあったからこそ生まれたもの。
人と人との出会いから生まれる化学反応は、現代を生きる私たちにも大いに参考になる部分があるのではないでしょうか。
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