大老や老中首座・老中で一番偉いのは?簡単に違いや役割・職務を説明

「大老」といえば幕末に活躍した井伊直弼や、「老中」といえば財政改革を行った田沼意次や松平定信が有名です。

似たような名前の役職で、違いがあまりよくわからないという方も多いのではないでしょうか。

今回は「大老」・「老中首座」・「老中」はどれが一番偉いのか、どのような違いがあるのか、についてご紹介します。

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目次

大老や老中首座・老中の偉さの順位

大老、老中首座、老中の3つの役職の偉さの順位を簡潔に説明しますと、下記の順番になります。

①大老

②老中首座

③老中

 

しかし、大老という役職は常時設置されているものではなく、臨時的に置かれるものです。

大老が置かれるのは、将軍が幼く執務が難しいときや、緊急事態のときと考えられます。

そのため老中が置かれていない普段は、老中首座が一番偉いということになります。

現代に置き換えてみると、老中首座が内閣総理大臣のような立ち位置で、老中が大臣たちと言えるでしょう。

現代は、大老のような臨時的役職はありませんね。強いていうなら副総理でしょうか。

病気や事故など緊急の際に職務を代行するという点は大老と通じる部分ですね。

大老や老中首座・老中の違いを簡単に説明

江戸幕府徳川家家紋:Wikipedia参照

大老、老中首座、老中の3つの役職についての偉さについて解説しましたが、違いがわかりづらいと感じる方も多いのではないでしょうか。

それぞれの役職の違いと特徴についてわかりやすく解説します。

大老について

・老中や老中首座と違って、非常置の職で定員は1名

「井伊家」・「堀田家」・「土井家」・「酒井家」の4家しか大老に就くことができない

・権限が非常に強く、将軍にもみずから進言するなど大老の意見はかなり影響力があった

 

老中首座について

大老、老中首座、老中の3つの役職の偉さの順位を簡潔に説明しますと、下記の順番になります。

一番席次が上の老中

・事実上の執政として幕府の主導権を握る

・老中たちのなかで先任者や家門など特別な家柄の者が就くことができる

 

老中について

・江戸幕府に常設された責任者的ポジション

・将軍に直属して政務を行う

・2万5千石以上の譜代大名から4~5名が選出され就任する

 

大老は臨時で設置され1名しかなることが出来ない上に、4家からしか選出されないということもあって、就ける人間はかなり限られています

老中首座老中は別の役職というより、同じ老中のなかのリーダーとメンバーのような構造ですね。

しかし老中と老中首座では権限の大きさに違いがあると言えます。

大老や老中首座・老中の役割や職務を簡単に説明

江戸幕府で政治にかかわる仕事を行っていた大老・老中首座・老中の人々はどのような役割を担い、仕事はどんな内容だったのでしょうか。

それぞれの役割と職務についてご紹介します。

大老の役割と職務

井伊直弼肖像画:Wikipedia参照

大老とは江戸幕府の職制で最高機関でした。

将軍からの信頼が厚く、政務への進言を行う立場であり、名誉職でもありました。

臨時で置かれる役職ではありましたが、征夷大将軍に助言できる程の立場でもありました。

そんな大老の主なお仕事はアドバイスを行うことだったようです。

幼くして将軍になった場合などに大老が設置され、政務に関する助言を行っていました。

また、重要な政策の決定にのみ関与して月番(老中のうち1人が1毎月交代で政務を担当し、他の者はそれを補佐する制度)などの日常業務は免除されていました。

しかし、かの有名な井伊直弼は助言をすることや名誉職としてではなく、自身が主導して幕府の政務を行っていました。

自らが権力を持って独裁的に政務を行っていたたがために、周囲の反感を買い、大老に就任中の1860年に桜田門外の変で殺害されています。

 

老中首座の役割と仕事

阿部正弘肖像画:Wikipedia参照

 

4~5名で構成された老中の中で最高の権力を持っているのが老中首座という役職です。

基本的には、老中の仕事を行う際の筆頭者でした。

大老が置かれていないときは幕府における最高職だったので、大きな力を持って政務を行っていました。

老中首座で有名な人物と言えば「阿部正弘」や「堀田正睦」が挙げられます。

阿部正弘は老中首座として、日本に度たび訪れる外国船に対する対応や人材登用を積極的に行っていました。

堀田正睦は開国推進派として、日米修好通商条約の締結に奔走するも叶わず、後に隠居生活を強いられています。

こう見ると、対外的な業務への対応に追われていることがわかります。

 

老中の役割と仕事

田沼意次肖像画:Wikipedia参照

老中は実質、幕府の責任者的ポジションです。

主な仕事として、外交や朝廷・公家・大名・寺院に関する業務の対応と総括を行っていました。

普段の業務は月番といって、毎月交代で1名ずつ担当するという制度でしたが、実際は担当でない老中たちも会議に参加したり、業務にあたっていたようです。

各藩の願いや依頼を聞いたり、諸届の対応窓口ともなっていました。

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まとめ

大老・老中首座・老中それぞれの特徴を簡潔に以下にまとめました。

大老 臨時の職で、アドバイザーのような役割。名誉職でもあった。
老中首座 老中の中の筆頭。大老が置かれていない時は江戸幕府における最高職。
老中 現在でいう大臣のような役割。実質江戸幕府の政治を行っている責任者のような役割。

 

名前は似たようでも、業務内容は微妙に異なるということがご理解いただけたのではないかと思います。

特に老中たちはかなり忙しい毎日を送っていたようで、幕府内をせわしなく移動していたそうです。

激動の幕末を支えた彼らに敬意を表します。

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