水戸藩の11代藩主を務めた「徳川昭武」。
9代藩主の徳川斉昭の18男として生まれた昭武ですが、いまいち何をした人物なのか、どういった人物なのかわからないという方も多いのではないでしょうか。
今回は昭武の功績と、エピソードをわかりやすくご紹介します。
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目次
徳川昭武は何をした人?
出典:Wikipedia
徳川昭武(1853年~1910年)
・清水徳川家第6代当主であり、のちの水戸藩第11代の藩主(最後の藩主)
・父:徳川斉昭(水戸藩第9代藩主)
母:万里小路睦子
正室:瑛子(中院通富の娘)
側室:八重(斎藤貫行の娘)
・最後の水戸藩主であり、清水家を継ぐ。フランスへの留学を経験し、日本の近代化に貢献。
晩年は戸定邸にて趣味に打ち込む。
2度の留学を経験し、国際交流の先駆者となる
昭武は1866年、自身が13才のときに兄・慶喜の代理でフランスのパリで開かれる万国博覧会に参加することになります。
博覧会が終わったあともフランスに残り、留学生活を続けますが、そのころ日本では慶喜が大政奉還を行っていました。
明治新政府から帰国命令書が届いたことに加え、兄で水戸藩主の慶篤が病死していたこともあり、帰国して水戸藩知事に就任しなければなりませんでした。
水戸藩知事に就任してすぐ、廃藩置県により藩知事を免じられた昭武は、その後明治9年にアメリカのフィラデルフィア博覧会に参加のため渡米します。
渡米後はそのままフランスへと渡り、再び留学生活を送るのです。
当時の昭武のヨーロッパ訪問に対し、イギリスの新聞では「プリンス・トクガワ」と大きく紹介していたようです。
ヨーロッパの人々は当時、小さな島国である日本をあまり認識していなかったと考えられます。
しかしこの博覧会参加によって、日本の国際交流の先駆けになったのではないでしょうか。
この時代に2度も留学を経験するとは、昭武はかなりグローバルな人物だったようですね。
戸定邸を建設
出典:Wikipedia
昭武は明治15年に、松戸にて邸宅の建設を開始します。
翌年には家督を譲り隠居し、明治17年には戸定邸が完成しました。
戸定邸の前には庭園が広がっており、景観は明治期の庭園の特徴を著表しているそうです。
園芸も趣味だった昭武は、造園にもかなりこだわっていました。
明治期の徳川家の邸宅がほぼ完全に残っているのは、この戸定邸が唯一であり、国の指定重要文化財となっています。
徳川昭武の功績を簡単に紹介。
やはり、昭武の功績と言えばパリ万国博覧会に参加したことでの成果ではないでしょうか。
新たに知見を得たり、ヨーロッパに日本をブームを起こす大きなきっかけとなりました。
ジャポニズム旋風を巻き起こす
パリ万国博覧会では、日本からも多くの品物を展示していました。
日本から持ち込んだ、「陶磁器」や「漆器」・「浮世絵」など、精緻な工芸品はヨーロッパの人々の心をつかみました。
これがきっかけで、「ジャポニズム」旋風が巻き起こります。
モネやゴッホなど、偉大な画家もジャポニズムの影響を受け、浮世絵のような絵画作品が残っています。
また、万博に参加した昭武一行はヨーロッパでの見聞を日本に持ち帰り、明治維新後の近代化を進めたことも功績と言えるでしょう。
同行していた渋沢栄一はパリで経済や銀行の仕組みについて、株式組織についてを研究し、現代の企業制度の改革につながったと言われています。
このパリ万博への参加によって、昭武は国際交流の先駆者となり、日本の近代化に大きく貢献したと言えるでしょう。
徳川昭武の逸話・エピソード
ここからは徳川昭武の逸話やエピソードを紹介していきます。
ココアをはじめて飲んだ日本人
昭武は留学中に日記をつけていました。(徳川昭武幕末滞欧記)
1868年8月3日、フランスのシェルブールのホテルにて「朝8時にココアを喫んだ後、海軍工廠を訪ねる」と書き記しています。
これが日本人がはじめてココアを飲んだという最古の文献記録だそうです。
多趣味で写真好き
陶芸や狩猟、自転車などさまざまな趣味を持っていた昭武ですが、特に写真が好きだったようです。
明治36年ごろから本格的に写真撮影に没頭し始めた昭武は、1500枚以上の写真を撮影していました。
戸定歴史館には昭武が撮影した写真が展示されていますので、当時の様子が伺えます。
多趣味でさまざまなことに手をだしていたようですが、その中でもカメラは当時、かなり高価なものでした。
そんなカメラを使って写真を趣味にできたのは、昭武のような一部の人間だけでした。
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まとめ
昭武は、10代のうちにパリへの留学を経験し、アメリカでの万博にも参加するなど現代の私たちから見てもかなりグローバルな人物です。
国際交流の先駆けとなり、日本の近代化に貢献した人物と言えるでしょう。
若くして重要な役目を担った昭武は、趣味に打ち込んだ晩年に遅い青春時代を過ごしたのではないでしょうか。
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