青天を衝け10話では栄一も草莽の志士となり、攘夷を行う時期を伺っていた。
帰郷してきた長七郎だが潜伏するはずの信州には行かず、江戸に向かったこと知った栄一が追いけます。
11話では慶喜の謹慎が解かれ幕政に復活したり、栄一らが攘夷のための具体的な計画の準備を進めていくようです。
11話では栄一が円四郎と初めて出会う回となるようです。
初回の出会いで、円四郎が栄一を捕まえた理由も考察していきたいと思います。
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目次
青天を衝け11話・横浜焼き討ち計画のあらすじ
まずは青天を衝けを11話・横浜焼き討ち計画のあらすじのみていきましょう。
栄一、長七郎を追う
江戸に向かった長七郎を止めるため、栄一は夜を徹して走り続け熊谷宿でなんとか追いつく。
河野顕三らが老中暗殺に失敗して命を落としたこと、大橋訥庵も捕縛されたことを告げるが、それでも江戸に行くという長七郎は必死で説き伏せた。
「生き残ったお前には、今生きている俺達には河野にかわってなすすべきさだめがまだあるはずだ!」と栄一は長七郎を説得する。
長七郎はよやく納得して信州に身を潜める。
それから一ヶ月後、千代が元気な男の子・市太郎を産み、栄一は市太郎を溺愛して仕事に精を出す。
慶喜、幕政に復帰
文久二年七月、薩摩藩主・島津久光の働きかけによって徳川慶喜の謹慎が解かれ、将軍後見職に任命される。
また、隠居していた福井藩主の松平春嶽も久光の要請で政治総裁職という新たな役職につく。
慶喜と春嶽は薩摩藩屋敷の島津久光のもととへ挨拶に訪れると島津久光から「こん先はわれらで力をわせご公儀を動かし、一刻もはよ攘夷を行いもんそ」と言わる。
しかし慶喜は攘夷など詭弁だと言い放つ。
というのも異国は技術は日本より進んでおり、今の日本での防備で攻められば到底防ぎきれるものでないと。
慶喜は久光が覇権を握るために自分や春嶽を利用し、朝廷の機嫌取りに使おうとしてるだと感じていた。
文久三年になると京では過激な浪士たちが天誅と称し、和宮降嫁に協力したものや開国に賛成するものを殺害し始めた。
この頃、将軍の上洛に先駆け、慶喜と春嶽は京都にいた。
慶喜が滞在する東本願寺に攘夷派労使が殺害した公家家臣の首と書状が置かれていた。
京の攘夷派の先頭にいるのは長州と彼らに担ぎ上げられた公家の三条実美であった。
その三条実美が朝廷からの勅使として、慶喜と春嶽のもとを訪ねてくる。
「いつ攘夷をおこなうのか、今期限をお決めくだされ。さもないと京の浪士はすぐに爆発します。」
「浪士の爆発など恐れませぬ。すでに京には守護職も所司代も私もおりますゆえ」
三条は激昂し、朝廷はその後も幕府に攘夷はいつ行うのかと迫ってきた。
一方、イギリスからは生麦事件の賠償金を払えと迫られており慶喜の頭を悩ませる。
そのころ、平岡円四郎が慶喜の前に現れた。
勘定所への出仕を命じられたが、一橋家へ戻りたいと願い出て、それが認められたという。
円四郎との再会は慶喜を久しぶりに笑顔にさせた。
攘夷決行の計画
ある日、栄一と喜作は惇忠から道場に呼ばれ、攘夷遂行と封建制度打破のための計画を聞かされる。
「横浜の外国人居留地を外国人ごとすべて焼き払う。我らが旗揚げすれば、それを見て馳せ参じる志士もきっと多くいるだろう。」
「横浜を焼き払えば外国は幕府を責め、幕府はそれを到底支えきれずに転覆する」
成功した場合は天使様を頂き、自分たちが天下を治めるのだと話した。
「長七郎は信州に身を隠していたが、日本中から志士が集まる京に移り、形勢を伺っている。自分たちは北武蔵から攘夷を決行する!」
栄一たちは道場の面々と計画を実行するための準備を進めていった。
まずは上州の高崎城を夜襲で制圧し、武器弾薬を奪って決起。鎌倉街道を進んで横浜を焼き払う。決行日は十一月十二日と決めた。
この頃、長州藩の攘夷派志士は馬関海峡に停泊中の外国船を次々に砲撃。近代的な装備を備えた各国から反撃にあい、壊滅的な打撃を受ける。
イギリス艦隊は生麦事件でイギリス人を殺傷した薩摩藩に報復。この薩英戦争で薩摩藩も甚大的な被害を受け、攘夷が無謀であることを悟った。
また、京では政変がおこり、過激な尊攘派の公家と長州や土佐の志士が追放された。
藤田東湖の息子・小四郎
尊王攘夷運動が消えゆくなか、栄一と喜作は江戸に出て武具を買い集めて密かに血洗島へ送った。
この頃、真田範之助をはじめ、千葉道場などからの賛同者たちが次々と集まっていった。
ある晩、栄一たちが料理茶屋で酒を飲んでいると若い武士が酒代をせびってきた。
その男は藤田東湖の息子・小四郎で、栄一は小四郎に「代々勤王を唱え、誇りある水戸の武士ともあろうものがただ酒を飲んで何をしておる!お主の姿を東湖先生はどう思う?」と説教をする。
小四郎は亡き父を思って涙し、いつかは父を超える大義をなしてみせると意気込んだ!
平岡円四郎との出会い
千代は二人目の子供のうたを産むが大義のために命をかけようとしている栄一は市太郎のときのようには喜ぶことができなかった。
挙兵実行の二月前に栄一と喜作は更に武具の調達をするために江戸にでて、武具商店をでたところ役人に見咎められて逃げたした。
喜作と別れて逃げるうちに栄一はボロ屋に引き込まれ、「悪いがちーとばかり顔貸してももらいてい」と円四郎に言われる。
円四郎が栄一を捕まえた理由を考察
青天を衝けを11話で栄一と平岡円四郎が初めて出会うシーンが描かれます。
ボロ屋に引き込まれてそこで初めて出会うシーンとなりますが、この出会いは少し脚本が入っているようで実際にはもう少し違う出会い方をしたようです。
1862年当時、栄一は江戸で学問や剣術修行に明け暮れる遊学をしていたようです。
あらすじにもあったようにその頃に栄一はより攘夷派に傾倒し、高崎城乗っ取り計画を企ており、江戸でもその名は知れ渡っていたようです。
このときに一橋家の家臣・川村恵十郎を介して円四郎と栄一が出会いを果たすことになるのです。
川村恵十郎は一橋家の家臣であるが、慶喜に進言できるほどの身分ではなかったが農民募兵に尽力をしており、この頃に栄一や喜作を発掘し、平岡円四郎と出会わせたということになります。
栄一らが攘夷派で、高崎城乗っ取り計画を立て、武具を買い集めていることは一橋家の円四郎らはわかっていた可能性があります。
先に紹介した川村恵十郎は農民募兵に尽力をしていたことから、川村恵十郎はただ攘夷と威勢ばかりでなく、しっかりした理屈をもって、攘夷結構計画を立てている面白い奴らがいると知っていたのでしょう。
そのことを円四郎に伝えると面白い会ってみようということで栄一らを捕まえたのだと思います。
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まとめ
青天を衝け11話ではいよいよ渋沢栄一らと平岡円四郎が出会いを果たし、栄一らが表舞台に登場するようになります。
12話では栄一は円四郎に何を語り、円四郎が慶喜と栄一を会わせるようと思ったのかも見ものです。
青天を衝けの12話を楽しみにして待ちましょう。
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