NHK大河ドラマ『青天を衝け』で吉沢亮さんが演じる主人公、渋沢栄一。
大河ドラマの影響で人気を博していますが、500社もの会社の設立に関わり、600近くもの教育機関、病院、各種団体の運営に携わったという実績があります。
一方、水戸藩第11代藩主で、江戸15代将軍・徳川慶喜の弟でもある徳川昭武(とくがわあきたけ)。
二人には深い縁があり、渋沢栄一が活躍するキーマンとなったのが、徳川昭武でした。
今回は、そんな渋沢栄一と徳川昭武との関係、パリ万博や訪欧使節団での役割や学んだことをご紹介します。
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目次
徳川昭武と渋沢栄一との関係
1853年、ペリーが浦賀に来航した年に、徳川昭武は江戸駒込の水戸藩中屋敷で生まれます。
水戸で育ちますが、幕末の動乱期ということもあり、1863年に上洛。
京都市中で起きた禁門の変や水戸藩での天狗党の乱では、一軍の将として出陣に参加し、活躍します。
(禁門の変の舞台となった、京都御所にある「蛤御門」。2021年3月撮影。)
その後、1867年に徳川昭武は訪欧使節団で渋沢栄一らと出会い、パリ万博を訪れます。
パリ万博に参加した背景として、フランスでの連携を通じて幕府を再生するという名目がありました。
15代将軍の徳川慶喜は、弟の徳川昭武に決まっていた会津藩への養子入りの話も破断にし、徳川昭武をフランスへ派遣します。
しかし、パリ万博の直後、訪欧使節団一行がパリ滞在中に、江戸幕府は倒幕してしまいます。
渋沢栄一や徳川昭武を送り出した幕府がなくなってしまったため、危機的状況となりますが、渋沢栄一の卓越したマネジメント能力で、徳川昭武は何とか日本に帰国することができました。
この背景には、渋沢栄一と徳川昭武の二人の関係性と、フランスで学んだことを元に近代日本社会を変えていきたいという渋沢栄一の思いや原動力があったからこそ、可能になったものだと言えるでしょう。
徳川昭武と渋沢栄一のパリ万博や訪欧使節団での役割
1867年、渋沢栄一は徳川昭武とともにパリ万博に赴きますが、この時、訪欧使節団の記録係をしながら、メンバーのマネジメントを任されます。
また、パリ万博後には「外国奉行支配調役」という役職に就くことになります。
後述しますが渋沢栄一にとって、パリ万博や訪欧使節団への参加は、西欧の国力や社会情勢、科学技術を学ぶことができた貴重なきっかけとなり、大きな経験を積むことにつながっていったのです。
幕末の激動の中で、徳川昭武が将軍の代理としてパリに行くことがなければ、渋沢栄一もパリ万博を訪れることはなかったと言われています。
時代の機運とさまざまな人間が重なり合い、渋沢栄一は明治時代になって、次々と実績を挙げることとなります。
渋沢栄一:御勘定格陸軍付調役として訪欧使節団の記録係や滞在費用管理等のマネージメント
パリ万博や訪欧時で学んだこと
先述したように、渋沢栄一はパリ万博や訪欧時に、記録係としてさまざまな知見を得ることになります。
パリ万博後、フランス滞在中に渋沢栄一は10人のメンバーとパリに留学し、ヨーロッパを周りながら様々な知見を得ることになります。
特に水道設備や電灯などの社会インフラ、蒸気機関車などの交通機関、新聞などの情報伝達技術など、西欧の優れた科学技術を目の当たりにします。
いずれも当時の日本には無いものばかりで、ヨーロッパに比べ日本社会が遅れていることを目の当たりにします。
特に現地の病院の見学では、病室のベッドや薬局、医療設備などの充実度に大きな感銘を受け、帰国後の1872年に設立された東京市養育院(現在の東京都板橋区にある東京都健康長寿医療センター)では、渋沢栄一は初代院長を務めるようになります。
その他病院関係では、日本赤十字社や東京慈恵会などの病院の設立にも携わっています。
また、先述の技術以外にも、渋沢栄一はヨーロッパの銀行や株式会社の仕組みを学びます。
特に人々から資金を集め、それを元に事業を行なうという資本主義の仕組みに驚愕し、現地の関係者からはフランス経済の成り立ちや貨幣流通も学んだそうです。
このようにして、西欧の進んだ技術などを日本に持ち帰ることで、日本が発展するチャンスになると捉えた渋沢栄一。
帰国後、500社近くもの会社の設立や、近代日本の資本主義経済を構築し、「近代日本経済の父」と呼ばれるようになっていった背景には、パリ万博や訪欧時の経験が大きく影響しているのです。
・医療設備の充実度
・銀行や株式会社の仕組み
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まとめ
「近代日本経済の父」と呼ばれるようになった渋沢栄一ですが、もちろん一人の力で全てを成し遂げられたわけではありません。
徳川昭武との偶然の出会い、社会情勢、先人たちの知恵、そして外国の先進技術など、さまざな条件が複雑に重なり合うことで、近代日本経済をリードし、現在の私たちの生活につながる礎を築くことができたのです。
渋沢栄一と徳川昭武のエピソードや関係性を見ると、大切な人とのつながりを忘れてはいけない、そんなことを思い出させてくれます。
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