幕末期の水戸藩士で徳川慶喜の側近であった「原市之進」。
その人生は暗殺によって幕を閉じることとなりますが、いったいどんな人物だったのでしょう。
何を成し遂げ、なぜ殺されてしまったのか。
エピソードを交えてご紹介するとともに、暗殺された理由についても考察していきます。
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目次
原市之進はどんな人
原市之進像:https://www.asahi-net.or.jp/~CW3T-TYM/tokugawa/186301/hara.htm
原市之進(1830年~1867年)
・諱(本名):忠敬・忠成
・幕末期の水戸藩士
・父:原雅言
従兄:藤田東湖
・徳川慶喜の側近で、将軍就任に貢献した
聡明で若いころから秀才の誉れ高い人物
市之進は天保元年(1830年)に水戸藩士・原雅言の次男として生まれました。
藤田東湖を師として、水戸の藩校・弘道館で学び、13才にして講義作文を行っていたそうです。
賢く秀才だった市之進は、のちに自身が学んだ弘道館の舎長となり、その後五軒町に私塾・菁莪塾を開設。
まわりからは「五軒先生」と呼ばれていたそうです。
菁莪塾の門下生は500人にもおよび、藤田小四郎などを輩出しています。
水戸藩の若き英才として活躍していた市之進は、歩行士、小十人組、定江戸奥右筆頭取と昇進していき、馬廻り役にまでのぼりつめました。
その後、優秀な人材を探していた徳川慶喜に請われ、側用人として働くことになります。
慶応2年には幕臣として取り立てられ、のちに目付となるほど慶喜からの信頼は厚かったようです。
周囲には市之進の功績を妬むものも多かったと言われています。
現代でもとんとん拍子に昇進する人が妬まれることがありますが、それは昔も同じようですね。
原市之進は何をした人
ブレーンとして慶喜の将軍就任を画策
慶応2年、市之進が目付に就任した年の7月に第14代将軍の家茂が急死します。
いままでの例を見ると、跡継ぎが徳川宗家を継ぎ、そのまま将軍となることが一般的です。
しかし慶喜は、幕府が今まで通りの権威を存続しながら持ちこたえることができないと考えていました。
いっそのこと幕府を廃止して王政を復活させるのはどうか?と心の内を市之進に明かします。
それを聞いた市之進はその考えは胸に秘めて口外しないよう口止めし、将軍就任のため画策するのでした。
まず、宗家継承と将軍就任を別とし、宗家だけでも継ぐように進言します。それには慶喜も同意します。
続いて市之進は慶喜の将軍就任を求めて朝廷や諸大名に働きかけ、同年の12月には孝明天皇から慶喜に対して将軍宣下がなされました。
慶喜の心の内を聞き出し、将軍就任に持ち込んだことから、2人の間に厚い信頼関係があったこと、市之進がかなりの頭脳派であることが伺えます。
兵庫開港に尽力
諸外国から幕府に対して何度も開港の要請があった兵庫開港問題に対し、慶喜は朝廷に開港を要請しますが却下されて終わります。
そのころ討幕派であった薩摩藩の大久保利通は、慶喜を引きずり下ろすベくさまざまな妨害工作を行っていました。
市之進はそれに対抗し、諸大名や公卿に働きかけ、慶喜側の意見へ賛同するように説得します。
その結果、開港の勅許が出されることになったのです。
慶喜のために奔走した市之進でしたが、その功績を妬むものも少なくなく、さらに元攘夷派だったことから、奸臣(悪だくみをする家来)と見なされていました。
原市之進が山岡鉄舟に暗殺されたのか考察
市之進は、慶応3年8月4日に同僚の鈴木豊次郎と依田雄太郎らによって結髪中に背後から襲われ、首をもがれて暗殺されました。
なんとむごい暗殺なんだと恐ろしくなりますが、市之進はなぜ同僚に殺されてしまったのでしょうか。
暗殺をそそのかした黒幕がいた?
暗殺を実行したのは鈴木豊次郎と依田雄太郎ですが、実際には裏で暗殺をそそのかした人物がいたようです。
それが山岡鉄舟と高橋泥船義兄弟だと言われています。
彼らは尊王攘夷派だったのですが、もとはと言えば市之進も同じく尊王攘夷派でした。
しかし、慶喜の側近として働くようになると、兵庫の開港に奔走しているのです。
そんな姿を見て、「裏切られた、手のひら返しじゃないか。」と攘夷派たちは怒り心頭でした。
山岡と高橋は、そんな怒り心頭な攘夷派の同志たちに「では原市之進を斬ってしまえばいいのでは?」とそそのかしたそうです。
実際はその場の流れで発した言葉で、本気ではなかったと言われていますが、それを真に受けて鈴木豊次郎と依田雄太郎は暗殺に向かってしまいました。
焦った山岡は慌てて自身の護衛を派遣して連れ戻そうとしましたが、時すでに遅かったようです。
兵庫開港で怒りを買ったことも理由に挙げられますが、実際市之進はもともと敵を作りやすいタイプでもあり、賢く功績も挙げていたことから周囲の嫉妬を煽ってしまっていたと言われています。
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まとめ
賢く聡明で、慶喜からの信頼も厚かった市之進ですが、若き英才が暗殺されたことは幕府にとっても水戸にとってもかなりの痛手だったことでしょう。
実際、市之進の死後には慶喜が優柔不断になり、結果大政奉還を行っています。
市之進がもし生きていたら、幕末以降の日本がどう変わっていたのでしょうか。
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