商都大阪で、近代の大阪の経済発展に尽力した五代友厚。
2015年のNHK連続テレビ小説『あさが来た』で、ディーン・フジオカさんが五代友厚役を演じられたのは、記憶に新しいところです。
また、2020年に亡くなられた俳優の三浦春馬さんが主演された映画『天外者(てんがらもん)』でも、三浦さんが主人公の五代友厚役を熱演されました。
今回はそんな五代友厚の「ファーストペンギン」の意味や名言、エピソードをご紹介します。
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目次
五代友厚のファーストペンギンの意味
集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛び込む一羽のペンギンのこと。転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主のこと。
出典:日本の人事部 人事辞典」より
五代様のファーストペンギン講座
(キャラクターデザイン:五代友厚)#あさが来た pic.twitter.com/4F9Qx5e9wQ— さつき (@satsuki_h_0129) November 27, 2015
五代友厚=ファーストペンギンと聞いて、「?」な方もおられるかもしれませんが、そこを紐解くのに、NHK連続テレビ小説『あさが来た』の主人公・広岡浅子(あさ)の存在が欠かせません。
『あさが来た』をご覧になられた方も多いかもしれませんが、あさは炭鉱経営を行なったり、藩邸で賃金回収をしたり、資金援助を取り付けたりと、まさに「ファーストペンギン」を呼ぶべき輝かしい功績を残しました。
女性が商いをするなどあり得ないと言われていた時代に、女性実業家としての道を歩み始めたあさ。
そんなあさの性格を、五代友厚は「ファーストペンギン」と呼び、次第に五代友厚はあさに惹かれていきます。
実はその五代友厚も、大阪商法会議所を立ち上げるなど、近代大阪の経済の発展に貢献し、今日の「商人の街大阪」の原形を造ったとも言われています。
彼こそ、真の「ファーストペンギン」と呼べるかもしれません。
↑NHK連続テレビ小説『あさが来た』主人公・広岡浅子(あさ)の生誕地(現・ホテルルビノ京都堀川、京都市上京区)
※2021年6月撮影
ホテルの方に許可をいただいて敷地内で撮影しております。
五代友厚の名言とその意味
地位か名誉か金か、いや、大切なのは目的だ。
五代友厚は、こんな名言を残したと言われています。
渋沢栄一と同時期に活躍した五代友厚ですが、大阪の外交に関わったり、大阪通商会社や大阪為替会社を設立し、大阪株式取引所を開くなど、低迷していた大阪経済を建て直します。
本来、社会の中で生きていると、どうしてもブレてしまい、地位や名誉、お金などの私利私欲に走り、本来の目的を失ってしまいがちなもの。
だからこそ、五代友厚は警鐘を鳴らしました。
この姿勢は、先述の「ファーストペンギン」の精神にも通ずるものがあるのかもしれません。
余は生涯決して安逸愉楽を希望せず。・・・
また、五代友厚はこんな名言も残しています。
かつ天下の貨財は決してこれを私すべきものにあらず。
よく集め、よく散じ、自ら利するとともに人を益してこそはじめて意義あり。
晩年、友人からの「これからは安全な道を生きよ」という忠告に対しての、五代友厚の答えと言われています。
自分は決して楽をするために働いているのではない。
お金は一ヵ所に留めておくべきものでもなく、かといって自分のためだけに使うのではない。
大切なのはたくさんお金を流通させ、自分も周りも幸せになってこそ、はじめて意義があるのではないか。
まさに五代友厚のお金に対するスタンス・考え方が表れている言葉です。
近い将来、「東の渋沢」こと渋沢栄一が、新一万円札の顔になることが決まっています。
その新しい紙幣を「西の五代」こと五代友厚のような気持ちで使う人が増えれば、日本の経済も社会も、そして私たちの心も、もっと豊かになるのではないでしょうか。
五代友厚の逸話・エピソード
『あさが来た』でディーン・フジオカさんが演じられたり、『天外者』で三浦春馬さんが演じられたりと、五代友厚のエピソードを見ていると、ついつい格好良いイメージが先行しがちですが、実はこんなエピソードもあります。
トイレで顔を洗う?!
それは、薩摩藩の留学生として英国へ渡った時のこと。
乗船した蒸気客船マドラス号は、食堂や浴室、トイレなども完備されている最新鋭の船でした。
船内で洋式便器を初めて見た五代友厚は、なんと洗面器と勘違いして、便器で顔を洗ってしまったのだそうです。
なんとも恥ずかしいエピソードですが、そういった所も包み隠さず大っぴろげにするところが、何とも五代友厚らしいです。
大阪経済の立て直し
もちろん、五代友厚に関する優れたエピソードも多くあるのも忘れてはいけません。
たとえば、新政府の参与職外国事務掛として大阪の外交に関わったり、貨幣制度の混乱を抑えるため、藩札に代わり国際的に通用する貨幣を発行する造幣寮(現・造幣局)を大阪に創設するなど、数々の実績を残しました。
さらに、大阪活版所や大阪通商会社・大阪為替会社を設立したり、政府の条例に基づき130名もの創立株主と大阪株式取引所を開くなど、低迷していた大阪経済を建て直し、今日の大阪の街の礎を築いていったのです。
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まとめ
幕末から明治にかけて、日本の近代化に大きく寄与した五代友厚。
政商と言われながら日本経済の発展に尽力した彼の実績が、いかに今日の私たちと密接に関わっているのかが分かります。
私利私欲を越えて、本来の「目的」を重視する彼の姿勢こそ、現代を生きる私たちも学ぶところが多くあるかもしれません。
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