幕末から明治にかけて活躍した幕臣であり医師でもあった「高松凌雲」。
民間救護団体の前身ともいわれる同愛社の創設者でもあり、日本での赤十字運動の先駆者ともなった人物です。
今回の記事では、高松凌雲の生い立ちや経歴について紹介するとともに、徳川慶喜や渋沢栄一との関係やエピソードについてもご紹介します。
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目次
高松凌雲の生い立ちや経歴
高松凌雲 出典:Wikipedia
医学を学び、医師のみちへ
1863年、筑後国の庄屋・高松与吉の三男として生まれた凌雲。
農家出身ながら、19才の時に久留米藩家老の川原弥兵衛の養子となり、武士の道に進みます。
その3年後には脱藩し、江戸で幕臣として仕えていた兄を頼って上京し、医師を志すようになりました。
江戸ではオランダ医学で有名だった石川桜所に入門し、ついには大坂で緒方洪庵の適塾に入塾しました。
そこでは西洋医学のみならず、オランダ語もマスターしたと言われています。
さらには幕府が開いた英學所で学び、英語もマスターしたそうです。
医学を学びながら、外国語を二か国語もマスターしてしまうとはかなりの秀才だったのですね。
そんな噂を聞きつけた一橋家から専属医師に抜擢されます。
それと同時に徳川慶喜が将軍となったため、幕府の奥詰医師となったのです。
1867年、パリ万博に参加することが決まった日本は徳川昭武が代表として渡欧することになりました。
そこに同行することになったのが凌雲でした。
西洋医学の知識や語学力を買われたのです。
パリ万博が終わったのちは留学生としてパリの医学学校に通います。
そこで見たのは貧しい人たちに無償で働く医師達の姿でした。
そういった人々のための医療施設が、富裕層の人々の寄付金で運営されていることに驚きました。
ヨーロッパで赤十字委員会が発足し、すべての人々に医療を。という考えが広がっていたのです。
この精神に出会ったことが凌雲の医者としての原点となったのです。
医師としての信念を貫く
ヨーロッパで目の当たりにした、どんな人民にも平等に医療をという精神に基づき、箱館病院では味方・敵関係なく治療を行いました。
運ばれてくる敵兵を、殺せという声も挙がりましたが、凌雲は必死に治療しました。
その後箱館病院は凌雲の意志を継ぎ、敵味方関係なく受け入れ治療を行いました。
そしてついに凌雲は自分の病院「鶯渓病院」を設立。
そこでは貧しい人たちに無償で医療を施すという取組みを行っていました。
しかし、幕府で奥詰医師として働いていた凌雲が、無料で診療所を開いているとの噂は瞬く間に広がり、多くの人が押し寄せる事態に。
そこで一人で運営していくことに限界を感じ、「同愛社」という組織を設立しました。
同愛社で治療を受けた貧しい人々の数は70万人とも100万人とも言われています。
この同愛社は民間救護団体の前身ともなりました。
凌雲は「日本赤十字のさきがけ」とも呼べる人物だったのですね。
徳川慶喜との関係やエピソード
徳川慶喜 出典:Wikipedia
慶喜に数学を教える
慶喜は凌雲がさまざまな学問を学び、秀才であったことを知っていたので「数学もできるようだから教えてほしい」と頼みます。
一か月ほどは順調に学び続けていましたが、忙しくなったのかいくら待っても慶喜から声がかからなくなりました。
凌雲は毎日足を運ぶも、待たされてばかりの状況に「お忙しいなら、おいとまさせていただいてもいいでしょうか」と退出しようとします。
そこで慶喜は「忙しいから、夜中の12時に来てほしい。その時間なら用事も入らないだろう!」と言い出すのです。
「まさか。冗談だろう。」と思った凌雲は、御小姓頭取に「そんな真夜中に訪問するなど無礼はできませんからよろしく」との旨伝えると、約束だから来てもらわないと困ると言われます。
どうしたものかと、しぶしぶ12時に慶喜の屋敷に足を運んだ凌雲。
するとお付きのものが「まだ来ないのかと将軍がお待ちです!」とやってきました。
凌雲は、夜中の12時に呼び出すなんて、本当に困った人だと思いながらも、真夜中の授業は2か月ほど続き、「寝れない日が2か月も続いた」と語っています。
渋沢栄一との関係やエピソード
渋沢栄一 出典:Wikipedia
目標を同じくし貧民への医療提供に奔走
栄一は1874年から貧民の救済事業である養育院の運営に携わっていました。
院長となった栄一は生涯この事業に尽力し続けます。
1877年には、佐野常民が西南戦争の傷病兵を敵味方関係なく治療するために「博愛社」を立ち上げると社員になり、博愛社が「日本赤十字社」となると常議員となって運営を支えました。
凌雲と同じく、「敵味方関係なく命を救いたい」「貧民にも医療を届けたい」という思いがあったのですね。
同志である凌雲が、多くの貧しい人々にも無料で診療を行うために「同愛社」を設立すると、幹事となって事業の取組みに協力しました。
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まとめ
民間救護団体の全身ともいわれる同愛社の創設者でもあり、日本での赤十字運動の先駆者ともなった高松凌雲。
秀才で能力もありながら、貧しい人々に無料で医療を届けようと奮闘する姿は胸をうたれますよね。
そしてあの時代に、敵兵の治療をするということは周囲の人間からすれば考えられないことですし、危険もあったかもしれません。
それでも、目の前にある命を助けたいと思う心は真の医師だと感じますよね。
日本の民間医療の発展に貢献した凌雲には頭が上がりません。
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